ノーベル平和賞、ナディアが私に見せた素顔

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表情の下に隠された本当のナディア

ヤジーディが身を寄せていた難民キャンプ(C)Noriko Hayashi
ヤジーディが身を寄せていた難民キャンプ(C)Noriko Hayashi

――3回に分けて取材をしてみて印象に残った言葉はありますか。

 「言葉よりナディアの表情の方が記憶に残っています。ハグをしてくれた時もそうでしたし、3回目に会いに行った時、難民キャンプの家の前に立って待っていてくれたみたいで、私を迎え入れてくれた時の表情も強い印象が残っています。

 ノーベル賞受賞が決まった後の会見を見ると、何か表情がない子に見えてしまいますが、本当はすごく感情が豊かな子です。キャンプにいる時、お兄さんは殺され、親族が行方不明となり、彼女自身も大変な体験をして、という中で生きていても、もちろん、何だかすごく面白い瞬間があって、そういう時にゲラゲラ笑っていました。

 さきほど、感情をむき出しにして泣いた話をしました。その時撮った写真をナディアに見せたら、『こんな顔をして私、泣いていたんだ』みたいな顔をして大笑いしていました。うまく言えませんが、そういうのはものすごく自然だと思うのです。

 今のナディアを見ていると、一見、無表情な感じに見えてしまうのですが、その奥にある気持ちを考えてみることはすごく大事だと思います。難民キャンプにいる他の女の子と同じような普通の子だったのですが、ドイツに行って、ヨーロッパやアメリカ、国連などいろんなところを回りながら、自分の体験を語っていく中で、すごく自分自身のことを客観的に見つめるようになったのではないでしょうか。

 ノーベル平和賞受賞が決まったからといって、満足しているわけではない。それはある意味、当たり前のことです。自分の体験をちゃんと伝えなければならないという使命感があって、それがああいう表情につながったのかなと思っています」

過酷な体験、ナディアだけではない

――『ヤズディの祈り』の中では、多くの女性がナディアと同じような体験をしたと証言しています。決してナディア一人だけの悲劇ではないということが重要だと思いました。

 「ナディアはコーチョという村の出身ですが、同じ村の出身者の話は途中までみんな一緒です。

 14年8月3日、ISが村に来て、家の屋根に白い旗を立てれば何もしないと言われたので、白い旗を立てた。最初は何もなかったけれども、15日になって、いきなり村の学校に集まれという命令があった。

 学校に行くと女性は2階、男性は1階に集められ、金目のものを全部奪われた。男性はバスに乗って連れ去られた先で処刑され、自分たちは奴隷市場に連れて行かれた。

 コーチョ村以外の女の子の証言もやはり、8月3日、ISが攻撃して来ましたというところから始まるので、ナディアだけが特別な体験をしているわけではありません。

 この写真集はナディアの証言が1番目に出ていますが、最初からそうしようと思ったわけではありません。いろんな風景の写真が出てきて、最初に出てきたインタビュー写真がナディアのものだったので、ナディアを1番目にしただけです。

 写真集を作っていた時、ナディアは国連の親善大使になるなど、ヤジーディのコミュニティーではかなり有名になっていましたが、ナディアのことだけを特別扱いしたくはない、いろんな経験をしたヤジーディの人たちがいる中で、ナディアもそのうちの一人に過ぎないことは明確にしておきたいと思っていました」

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50709 0 深読み 2018/11/24 07:00:00 2019/01/22 16:16:49 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20181121-OYT8I50087-T.jpg?type=thumbnail

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