平成の通勤電車、意外と知らない進化と余生
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平成時代が終わるのを前に、メディアではこの30年間の出来事を振り返る企画が盛んだ。通勤・通学でおなじみの電車も、実は平成の間にずいぶんと様変わりした。乗り心地や車内設備が良くなる一方、都市部で見かけなくなった車両は意外な所に……。JR都市圏の通勤電車を例に、鉄道通の中尾一樹さんに解説してもらった。
山手線車両は平成だけで3代に

長年、東京都内のJR中央線や山手線沿いに住んでいます。先日、東京駅と蘇我駅(千葉市)を結ぶJR京葉線を利用したところ、かつて山手線などで見慣れた電車が来て、懐かしい気持ちになりました。外装の帯状色テープは貼り替えられていましたが……。通勤電車たちの“第二の人生”(厳密には人ではありませんが)に思いをはせつつ、JR都市圏の通勤電車を切り口に、平成時代を振り返ってみたいと思います。
その前にまず、通勤電車がどうやって、今の姿になったかを知る必要があるでしょう。元祖的な存在が、さいたま市にある鉄道博物館に保存されています。明治・大正期、山手線などに投入された「ナデ6110形」。長いすとつり革を既に備えていました。混雑時に乗り降りがしやすいよう、扉の数も両側に3か所ずつあります。
今では当たり前の4扉電車(両側に4か所ずつドアを備えている車両)を、日本で初めて走らせたのは、1943年の鶴見臨港鉄道(今のJR鶴見線)といわれています。ラッシュ時は沿線の工場へ向かう勤め人や、勤労奉仕の学生などが乗り切れなくなり、座席を減らしてまでも扉を増やしたようです。
戦後、国鉄の通勤電車は4扉が主流に。復興輸送を支えた焦げ茶色の「63形」を経て、高度経済成長期になると、山手線はうぐいす色、中央線はオレンジ色などと路線別に色分けされた「101系」「103系」が登場します。