平成の通勤電車、意外と知らない進化と余生
完了しました
「おしゃれ」と女子高生を魅了

通勤電車の印象を一変させたのが、85年に山手線で走り始めた「205系」です。東急のような銀色のステンレス車体で、路線名が見分けられるよう、うぐいす色など帯状のテープが貼られました。昭和の終わりの登場ですが、平成になって大量投入されたので、「平成の山手線電車と言えばこれ」という印象をお持ちの方も多いでしょう。
余談ながらこの頃、特に鉄道好きでもない高校の同級生(女子)に「中尾君、知ってる? 山手線に銀色の電車が入ったの!」と声をかけられました。「ふーん、ステンレス電車っておしゃれなんだあ」と感じたことを覚えています。
山手線は全車両が205系に置き換わった88年、スピードアップにより日中の運転間隔が4分から3分半に縮まり、増発が実現します。
その後、「E231系」を経て、少しずつ最新の「E235系」に置き換わってきました。E231系は、車体の幅がふっくらして広がり、乗客が立つことのできる部分の面積が増えました。混雑率が下がった結果、以前この欄でも紹介した「いすなし電車」こと6扉車両は、山手線から姿を消しました。
E235系は、窓の上にある車内広告が、紙から大型液晶モニター画面に変わったのも大きな特徴です。紙の中づり広告を廃止する構想も話題になりました。中吊り広告は結局残りましたが、将来はこちらも、電子ペーパーなどに置き換わるかもしれませんね。
このように山手線では、平成時代に3種類の電車が使われました。旧大蔵省令が定める電車の耐用年数は13年ですが、これは税法上の施策であり、それ以上走らせても問題ありません。実際には40年ぐらい持つのです。では、山手線を去った205系やE231系はどうなったか。
答えはお分かりですね。私が京葉線で乗り合わせたように、他の線へ移るのです。ちなみに京葉線には、山手線を走った205系、E231系のほか「209系」「E233系」も走っています。
旧国鉄時代、山手線をお役ご免となった車両は、首都圏に限らず関西や名古屋・仙台周辺など、各地の通勤電車に転用されました。民営化とともに誕生したJRは、地域ごとに分社化されたため、山手線車両の転用先はJR東日本管内の各路線(埼京線や京葉線、仙石線、鶴見線など)に限られました。その後はと言えば、ごく一部、地方の私鉄に買われた例を除き、スクラップの運命をたどりました。