豹変?急接近する中国とどう付き合うか

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元中国大使 宮本雄二

 中国が日本との関係改善に意欲を見せている。王毅外相は3月、「ともに努力すれば安定した発展期に入れる」と発言し、習近平国家主席の訪日について前向きな考えを示した。しかし、尖閣諸島を巡る問題など、両国の間に懸案は多く、人権についての考え方など相容れない点も目立つ。日本はこの巨大な隣国とどう付き合っていけばよいのか。2006年から10年まで中国大使を務め、最前線で交渉に当たった宮本雄二さんが語る。

中国は本当に「したたか」か?

「したたか」と形容される中国外交だが…(写真はイメージ)
「したたか」と形容される中国外交だが…(写真はイメージ)

 中国外交には「したたかな」という修飾語が付くのに、日本外交にはそれがつかないのには、いつも不満だった。

 現場感覚でいえば、毛沢東、周恩来、トウ小平の時代までは、革命第一世代が直接外交を指揮したこともあり、確かに「したたか」だった(トウは「登」におおざと)。毛、周は朝鮮戦争で米国と戦い、「平和共存五原則」を提唱し、ニクソン訪中を実現した。トウは1978年に尖閣問題の棚上げ・共同開発という大胆な提案したかと思えば、翌年、ベトナムに侵攻。91年には崩壊直前のソ連とも「中ソ東部国境協定」を結んだ。戦略的な攻勢、譲歩、妥協を臨機応変にくり広げたのだ。

 だが、江沢民以降のリーダーはトウ小平路線を踏襲し、それを必死になって守ってきただけだ。この時代の中国外交に、私は「したたかさ」を感じたことはない。2001年のWTO(世界貿易機関)加盟も、04年の最終的な中露国境協定の締結も、トウ小平路線の延長にある。

 その一方で、交渉スタイルは一貫している。基本的に「我が方が正しい。貴方(あなた)は間違っている。故に貴方が譲歩しろ」というもので、こちらは文化大革命の頃から何の変化もない。中国側から妥協案が出てくることもめったにない。妥協案を出すこと自体、交渉当事者がリスクを背負い込むことを意味するのでやらないし、やれないのだろう。

「対日強硬」中国指導者たちの真の顔

8月15日に靖国神社を参拝した小泉首相(2006年)
8月15日に靖国神社を参拝した小泉首相(2006年)

 そんな中国と関係を築く上で、何が「カギ」になるだろうか。

 2006年の春、私は中国大使として北京に赴いた。小泉純一郎首相が毎年、靖国参拝を続け、日中関係が完全に冷え切っていたときだった。同年8月15日、小泉首相が最後となる靖国参拝を敢行した。私は抗議のために中国外交部に直ちに呼び出された。

 だが、李肇星部長はテレビカメラを直ちに追い出し、日本政府への抗議文書も早口で読み上げ、時間を短縮しようとしてくれた。当時の胡錦濤主席も温家宝総理も、日本に親近感を持つ知日派だった。

 福田康夫首相に対する中国指導部の信頼は特に厚かった。07年に「日中間の東シナ海における共同開発についての了解」が出来上がったのも、両国指導者の間に存在した信頼関係が大きな役割を果たした。やはり最後は「人」なのだ。

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