スポーツ選手の再就職に「デュアルキャリア」の考え

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スポーツライター 元川悦子

 プロ野球やJリーグが開幕し、今季も新たな才能がフィールドで輝き始めた。しかし、その一方で、才能が開花することなく、選手生命を終える若者も少なくない。それだけに「第2の人生」を見据えた準備が大切だ。選手自身のためにも、スポーツ振興のためにも、スポーツ庁はプロ選手らに現役時代から別の仕事のスキルを身に付ける「デュアルキャリア」を勧めている。その現状や課題について、スポーツライターの元川悦子さんが解説する。

“元日本代表”でも…厳しい現実

Jリーグデビューした当時の阿部さん(2002年7月撮影
Jリーグデビューした当時の阿部さん(2002年7月撮影

 元サッカー選手の阿部祐大朗さん(34)は、引退後の再就職で苦労した一人だ。神奈川県の強豪、桐蔭学園高校で活躍し、17歳の高校3年生のときに横浜マリノス(現・横浜Fマリノス)の選手としてJリーグデビューした。

 2001年に17歳以下のW杯に出場した際、当時の日本代表の監督だった田嶋幸三・現日本サッカー協会会長に「将来の日本代表FWになり得る」と言わしめた逸材で、03年には20歳以下のW杯に出場した経験を持つ。この時、チームメートには、18年のW杯ロシア大会の日本代表GK、川島永嗣選手(ストラスブール)らがいた。

 まさに将来を嘱望された身だったが、「どこかサッカーを甘く見ていたのかな。そこから思い描いたようなプレーができなくなっていきました」と本人も振り返る。その後は思ったように成果を残せず、J2、地域リーグと所属するチームのカテゴリーも下がっていった。11年にユニホームを脱ぐ決意をした。

名刺の渡し方わからず

現在の阿部さん
現在の阿部さん

 「現役の頃はサッカーに集中していればいいと思って、第2の人生の準備を何一つしていなかった」と話す阿部さん。

 引退後に一般企業への就職活動を始めようとしたが、やり方がわからず、いきなり“飛び込み”で会社に押しかけて、就職希望を伝えたこともあったという。就活サイトや人材紹介会社を頼るなどして、短期間で8社の入社試験を受け、翌年、ブライダル関連の会社に就職したが、むしろ、ここからが大変だった。

 オフィスでの電話応対や名刺を渡す作法がわからず、なかなかうまくいかなかった。不手際から結婚式場に運ぶ高価な花瓶を割ってしまったり、参加者に贈る引き出物の発注を忘れたりしたこともあった。メールの書き方について注意され、何度も直しているうちに送信を忘れたり、お客さんに「担当を変えてくれ」と言われたりしたこともあったという。

 かつて、日の丸を背負って世界と戦った男は、選手時代とのギャップに苦しみながら、「家族を路頭に迷わせるわけにはいかない」との一念で食らいつき、3年間勤めた。そのうちにビジネスマンとしてのたたずまいが身に付き、15年には大手金融会社に転職した。

 「(現役時代から引退後を見据え)時間の使い方を考えないといけませんでした。それが現役時代のキャリアにもプラスに働くと思うので」。阿部さんが身をもって学んだ教訓だ。

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551884 0 深読み 2019/04/24 11:00:00 2019/04/24 11:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/04/20190419-OYT8I50004-T.jpg?type=thumbnail

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