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    歴史

    大河ドラマ「真田丸」の舞台(6下)…“のぼうの城”と石垣山一夜城

    城郭ライター・萩原さちこ

    秀吉が築いた、関東初の総石垣の城

    • 石垣山一夜城の井戸曲輪。これほどまで高石垣で囲まれた壮大な空間は全国でも珍しい
      石垣山一夜城の井戸曲輪。これほどまで高石垣で囲まれた壮大な空間は全国でも珍しい

     崩れかけてはいるものの、現在も石垣山一夜城には遺構が状態よく残っています。400年経過した現在でも広範囲にわたり確認できる石垣は、突貫工事で築かれたとは思えないほど頑丈。織田信長が安土城築城で登用したことで知られる近江坂本の石工集団・穴太衆(あのうしゅう)の滞在記録があることから、穴太衆により築かれたものと考えられています。江戸時代になってから積まれた小田原城の石垣がほとんど崩れてしまっていることを考えると、技術力は歴然。穴太衆により築かれた関東最古の野面積みの石垣は、とても貴重です。

     南北方向に走る尾根を軸にして、その最高地点に本丸と天守台を置き、南西には西曲輪(くるわ)(区画)と大堀切(ほりきり)(敵の侵入を防ぐため、尾根を断ち切ったもの)を隔てて出城を、北東には二の丸や北曲輪、井戸曲輪などを配置しています。本丸の南側には南曲輪のほか小さな曲輪群が置かれました。

    • 石垣山一夜城の展望台から見下ろす小田原市街地と相模湾。○が小田原城天守閣
      石垣山一夜城の展望台から見下ろす小田原市街地と相模湾。○が小田原城天守閣

     注目は、虎口(こぐち)(出入り口)が桝形虎口(ますがたこぐち)(二つの城門と桝形と呼ばれる方形の空間を組み合わせた防御性の高い出入り口)であることです。とくに、二の丸から本丸に上がる北門の跡は外桝形と内桝形をセットにした二重桝形で、かなり立派な構造だったことがうかがえます。

     最大の見どころは、二の丸北東側にある井戸曲輪です。もともと沢のようになっていた地形を利用し、大小の方形スペースを設けたような段違いの空間を北側と東側に築かれた高石垣が城壁となって囲みます。全国でも例のない独特な構造は、一見の価値あり。井戸は二の丸から25メートルも下がった場所にあり、現在でも水が湧いています。

     小田原城は目と鼻の先で、本丸の展望台からは小田原城天守が確認できるほどです。まるで手のひらに載せた石ころを見るように小田原城や城下が見下ろせ、相模湾や足柄平野まで一望できます。秀吉は小田原城を包囲する自軍のようすをここから見渡し、さぞかし優越感に浸っていたことでしょう。

     圧倒的な秀吉の力を前に開城・降伏を余儀なくされる小田原城ですが、氏政が自信を持っていただけのことはある堅城でした。次回は小田原城の防衛力と実態に迫っていきましょう。

    【関連サイト】
    「石垣山一夜城歴史公園」(神奈川県小田原市)

     

    「大河ドラマ『真田丸』の舞台(7)小田原城」は6月20日公開予定

    <忍城攻めと石垣山一夜城の経緯>(萩原さんの話などをもとに作成)
    1590年(天正18年)3月 小田原攻め開始
    4~6月 石垣山一夜城が約80日間で完成
    6月 石田三成が忍城の水攻め
    7月6日 小田原城開城
    7月14日 忍城開城、豊臣軍に引き渡し

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    プロフィル

    萩原さちこ( はぎわら・さちこ
     城郭ライター・編集者。東京都生まれ、青山学院大学卒。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座もこなす。著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、『日本100名城めぐりの旅』(学研パブリッシング)、『お城へ行こう!』(岩波ジュニア新書)、『今日から歩ける! 超入門 山城へGO!』(学研パブリッシング/共著)、『図説・戦う城の科学』(サイエンス・アイ新書)など。公益財団法人日本城郭協会学術委員会学術委員。

    2016年06月14日 10時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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