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    文化

    没後20年、ロングセラー続ける星野道夫の秘密

    メディア局編集部 伊藤譲治

    不思議な巡り合わせ、担当編集者は湯川豊と松家仁之

    • 夕暮れの極北の河を渡るカリブー(撮影:星野道夫 写真提供:星野道夫事務所)
      夕暮れの極北の河を渡るカリブー(撮影:星野道夫 写真提供:星野道夫事務所)

     星野は生前、8冊のエッセーを発表しているが、最も知られているのは、生前最後に出版した『旅をする木』と星野の最高傑作とも評される『イニュニック[生命]―アラスカの原野を旅する―』だろう。『旅をする木』の担当編集者は文芸春秋の湯川豊(77)、『イニュニック』を担当したのは新潮社の編集者・松家仁之(まさし)(57)だった。

     湯川はその後、文芸誌『文学界』編集長などを歴任。須賀敦子の代表作『コルシア書店の仲間たち』『ヴェネツィアの宿』などを担当し、『須賀敦子を読む』で2010年に読売文学賞を受賞した。一方、松家は画期的な海外文学シリーズ「新潮クレスト・ブックス」を創刊し、雑誌『考える人』や『芸術新潮』の編集長を歴任。13年に長編小説『火山のふもとで』で同じく読売文学賞を受賞している。

     星野と湯川、松家の間には、不思議な巡り合わせがあった。実は、星野と松家の二人は、文芸春秋の湯川の下でほぼ同時期にアルバイトとして働いていたことがある。星野と松家は面識がなかったものの同じアルバイト仲間であり、湯川は二人の上司だった。

     星野が「アルバイトをしたい」と湯川の元を訪ねて来たのは、アラスカ大学に入学した78年の冬。大学の休暇中に帰国したときのことだった。星野の親戚が、湯川の親しい知り合いだったからだ。アラスカを移動するためにはエア・タクシー(小型飛行機)を使わなければならず、「お金がいくらあっても足りない」と嘆息していた、という。日本でアルバイトをして稼ぎ、そのお金でアラスカ中を旅して回った。文芸春秋でのアルバイトは5年間ほど続いた。

     仕事の内容は、主に原稿取りやゲラの受け渡しだった。「当時、まだインターネットが普及していなかったので、『諸君』や『文学界』に寄稿する作家や評論家に原稿をもらいに行ったり、ゲラを持って行ってもらったりという仕事が多かった」と湯川は振り返る。が、当時の星野には優れた文章家としての片鱗(へんりん)があった。「ふつうの読書家という以上に、本を読むことにとりつかれていた、という気がする。会ったときは必ず、何かおもしろい本はないかと尋ねてきた。文学青年ではなかったが、星野とは編集者の後輩のような付き合い方だった」と湯川はいう。

     一方の松家は79年、早大3年のとき、文学界新人賞に応募し、佳作に入選。作品を読んだ湯川は「ただならぬ才能」を感じ、「ちょっとアルバイトしてみないか」と声をかけたという。松家は、湯川がデスクとして編集部にいた季刊誌「くりま」でアルバイトをした。湯川の働く姿を見て編集者の仕事にひかれるようになり、82年に新潮社に入社。湯川と同じ編集者の道を歩み、やがて星野と深くかかわっていくようになる。

    2016年08月09日 16時34分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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