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    国際

    「年上の妻」だけでは語れないマクロン氏の横顔

    在英ジャーナリスト 小林恭子

    超スピードの出世にも満足できず

     ロチルドでの敏腕ぶりがオランド大統領の耳にも届いたのか、2012年、マクロン氏は大統領府の副事務総長(12~14年)となる。しかし、オランド大統領の市場改革への意欲が思ったほど強くないと判断したマクロン氏は辞任し、コンサルタント業を始めた。ところが、2、3か月後、また大統領府からお呼びがかかる。今度は経済相の職(14~16年)だった

     停滞するフランス経済を活性化させるため、商店の日曜営業を規制する法令の緩和を含む包括法案が国民議会(下院)に提出された。法案は最終的には採択され、「マクロン法」と呼ばれるようになるが、マクロン氏は十分な議論がなされなかったことに大きな失望感を抱いた。

     2015年11月、フランスでは過激派組織「イスラム国」の戦闘員らによる同時多発テロが発生し、130人以上が亡くなった。オランド大統領は厳格なテロ防止策を取ることを表明したが、マクロン氏はなぜテロが発生したのかを探るべきだと発言し、政権内で孤立した。

     「左派でも右派でもない」政治を実現するため、マクロン氏が政治運動「前進」を発足させたのは翌年4月である。8月末には経済相を辞任し、11月、大統領選出馬を表明した。この時、38歳である。30代半ばで大臣職にまで昇進しながらも、既存の政治勢力では思ったほど十分な改革ができないと感じたことが、独自の政治運動の開始につながった。

     4月23日に行われた大統領選の第1回投票では、有力候補4人の中で飛び抜けて支持を集めた人はおらず、マクロン氏と極右・国民戦線のマリーヌ・ルペン氏が決選投票に進んだ。既存政党には期待できないと感じている有権者の声を敏感に読み取り、自身の政治運動を作り上げたマクロン氏は、時代を読む嗅覚が優れていたとも言えよう。

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    2017年05月11日 12時23分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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