「脱走常習」の高安を大関昇進に導いたひと

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子供の頃のあだ名は「マルちゃん」

 子供の頃は野球少年で、小学校4年生からリトルリーグに所属していた高安。当時、巨人で活躍していたマルティネス選手に似ていたことから、あだ名は「マルちゃん」だった。伝達式前日の囲み取材で高安は「先生には『マル』、友達は『マルちゃん』、後輩からは『マルさん』と呼ばれていました」と、懐かしそうに語っていた。

母・ビビリタさん(左)、父・栄二さんと笑顔で記念撮影に応じる高安(5月31日)
母・ビビリタさん(左)、父・栄二さんと笑顔で記念撮影に応じる高安(5月31日)

 「マルちゃん」が中学卒業を迎えようとする頃、父の栄二さんは「相撲をやらせたら何とかなるかもしれない」と、大柄な息子に角界入りを勧めた。それに対して息子は「絶対に嫌」と反発した。それでも、鳴戸部屋の稽古を見学に行き、ごちそうされた美味(おい)しいちゃんこ鍋と、師匠の「土俵には夢が詰まっている」という言葉に心を動かされて、入門を決意したのだ。

 しかし、入門当初は野球への未練もあって、相撲界になかなかなじめなかった。相撲界では「家に逃げ帰ること」を「すかし」という。高安も「すかし」の経験は数知れない。自分なりに体作りに取り組むなどして、やる気満々で角界入りした3歳年上の兄弟子・稀勢の里とは大違いだった。

「少しでも父に親孝行がしたい」

 しかし、「すかし」をするたびに、栄二さんが車で部屋に連れ戻し、師匠に頭を下げてくれた。そして入門2年目、まだ相撲界にいることにどこか後ろ向きだった高安に、父の病気が知らされた。

 栄二さんから聞かされた病名は腎臓がんだった。その時、高安は「自分は一体、何をしているのか」とハッとさせられたという。「父の病気を知らされて、うかうかしていられないと思いました。僕が関取になることを信じて応援してくれている父に、少しでも親孝行をしなければいけないと思ったんです」

 栄二さんに喜んでもらいたいとの思いが、高安の相撲に対する姿勢をがらりと変えた。「今やらないと一生後悔する」と自分に言い聞かせ、相撲に打ち込んだ。すると、万年序二段だった番付が三段目になり、1年で幕下に昇進した。

 師匠の鳴戸親方は、弟子たちを厳しく指導することで有名だったが、高安に対しては怒ったことがなかったという。相撲と真摯(しんし)に向き合えず、「すかし」を繰り返す弟子の心を見極めて、あえて優しく接したのだ。ある日の夜、呼び出されて師匠の部屋に行くと、師匠は冷蔵庫からアイスを取り出し、食べさせてくれたという。高安は「あの時、厳しくされていたら、今の自分はなかったかもしれない。師匠はよく見てくれていました」と、今は亡き恩師に感謝する。

 次男で甘えん坊だった高安は母親にさえ怒られたことがなかった。息子を心配した母のビビリタさんが、高安の大好物のビーフシチューなどを部屋まで届けたことも幾度となくあったそうだ。

 師匠と両親の温かい愛情のおかげで、高安は不安定な新弟子時代を乗り越えられたのだ。

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