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    文化

    映画『メアリと魔女の花』はニセモノなのか(後編)

    スタジオポノック 西村義明

    作品を貫く「三つの軸」

    • (c)2017「メアリと魔女の花」製作委員会
      (c)2017「メアリと魔女の花」製作委員会

     この作品には、三つの軸が貫かれています。これは「メアリの物語」であり、「米林宏昌の物語」であり、「現代に生きる人間の物語」です。

     メアリは人間の女の子で、ひょんなことから魔法の力を手に入れる。当初、彼女は鏡ばかり見て、変な髪だとか、ろくな人生じゃないとか、自分のことばかりを嘆いているんです。自意識ばかりが先行して、変わりたいと願っている。

     そんな彼女は魔女の地で、花の力で変われたらしい。でも、人間が本当に変わるのは、そういうことではない。そのことにメアリが気づいた瞬間、彼女の眼前の鏡は粉々に割れる。彼女は自分のことを見なくなった。魔法を失って、傷だらけの手と足で進んでいく。自分ではない誰かに愛されたとき、自分ではない誰かを愛したとき、人は暗闇の中でも前に進めるし、誰かに手を差し伸べる力さえ持てる。そういう少女の、王道の成長ストーリーです。

     そして、それは米林監督自身の物語でもある。ジブリの魔法の中で育ってきた人が、ジブリという強大な魔法を失ったわけです。すべてを失ったときに、米林監督が何を思い、どんな物語を描くのか。僕はそこにすごく好奇心があったんです。魔法を失ったメアリが置かれた状況と、監督は同じだった。監督にとってもこの映画は一つのテーマとなり得たし、彼にふさわしい題材だと思った。

     で、もうひとつ。メアリが経験したことって、映画の中では、ある人物が先に経験したことなんです。メアリはそれを追体験するんです。これが、先ほどのキャッチコピーのそもそもの出所なんです。映画の中で描かれているのは、表面上はメアリの大冒険ですが、その背景には繰り返される歴史を風刺しているんです。赤毛の魔女が経験したことと、メアリが映画の中で経験することは、まったくの相似形をなしている。つまり、人物たちの愚かしさは時を経ても変わらず、魔女の花の悪夢はふたたび繰り返される。そういう意味での「魔女、ふたたび。」が、そもそも先にあった。

     では、そのモチーフとなる魔女の花とは何なのかといえば、力のない存在に強大な力を与えるその花を、一種のプロメテウスの火として扱って翻案したわけです。それが何を意味するのかは、脚本上に具象としては描いていません。暴走するグローバル資本主義や、兵器や原子力かもしれない。それは時代によって変わるんです。

     自分たちが見つけ、自分たちが作り上げた大きな力を前に、魔法使いたちは性懲りもなく同じことを繰り返す。進化を目指した魔法科学はイデオロギーと結びついて、次なる変革への希求を促すけれど、その変革とはいったい人間の幸福に結びつくのかという根本的な問いはない。「Change」や「変革」という言葉が世界に踊り、それに熱狂する時代は、歴史的に見てもよほど注視する必要がある。その影響をもっとも受けるのが子どもたちですから。

     有象無象の魔法的なる技術や力が跋扈(ばっこ)する時代に、子どもたちに忘れてはいけない何かをどう伝え、その子らに何を託そうとするのか、という映画なんです。そのとき無力な人間はどう行動できるのかということを描いていて、社会への一種の警鐘と、今の子どもたちへの期待を込めたんです。

     赤毛の魔女が経験した過去を、メアリの未来へと託す。日々を生きる大人たちが現実にばかり目を向けているときに、老人から次の世代へとバトンが渡され、それについて、どんなふうに子どもたちが結論づけようというのか、ということを考えていました。

    この映画には、こうした三つの物語がこめられています。

    「子どもの10年間」のための映画

    • (c)2017「メアリと魔女の花」製作委員会
      (c)2017「メアリと魔女の花」製作委員会

     ――企画段階から、そうした意図があったんですか?

     ありました。谷川俊太郎さんの詩の一節に「子どもたちの身体の中に明日は用意されている」という言葉があります。この詩のように、子どもたちの明日はあるのではなく、用意されているだけなんです。その用意されている明日を、大人たちがどう支えていくのか。子どもたちに苦しいことがあっても、彼らが乗り越え、生きていくために、大人たちや社会の支えは必要で、その一端を映画は担えるとさえ思っています。でも、子どもたちに向けたアニメ映画を作るのって、本当に難しいですよ。アニメーションは文化的に成熟してきて、大人たちこそが楽しむようになってきた。

     ――大人相手のビジネスをした方が、マーケットとしては大きいということですね。

     大人はずっと大人だから、母数が多い。でも、子ども相手の映画は成長段階の10年だけです。この10年間は子どもたちが成長する大事な期間で、絶対にないがしろにはできません。

    2017年08月08日 12時45分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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