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    社会

    2020年の日本、100年前にここまで見通した男

    読売新聞メディア局編集部 河合良昭

    携帯電話の登場を予想?

    • 1920年4月の電話交換手の様子(読売新聞の紙面から)
      1920年4月の電話交換手の様子(読売新聞の紙面から)

     科学技術の進歩に関する予想の中で、筆者が最も注目したのは、次の一文だ。 

     「郵便と電信はなくなり、皆電波にて通信す」

     当時、連絡手段として主流であった「郵便と電信(電報)」に代わって、携帯電話やスマートフォンなどの電波による無線通信が主流になる現代を予知していたかのように受け取れる。

     NTT技術史料館(東京都武蔵野市)によると、携帯電話同士で通話する場合にも、最寄りの基地局までは電波を使用しているが、基地局間は有線で通信しており、無線通信だけで通話しているわけではないという。

     また、敷津は「通話」とは書いていないので、この一文だけで「携帯電話を予想した」とまでは言い切れない。ただ、当時の通信事情を考えると、この予想にもかなりの先見の明があったといえるのだ。

    無線通信が一般化するのは80年後

     日本で初めて電話が開通したのは1890年。加入者数は東京155、横浜42で、多くは政府機関、銀行、新聞社などだった。当時の電話は壁掛け式で、設置場所から有線で電話交換局につながり、そこで電話口に出た「交換手」に相手側の電話番号を告げて接続してもらう方式だった。つまり、当時の電話は「有線」どころか、「有人」でようやく成立する通信手段だったのだ。

     電波による無線通信の技術は1920年には実現していたが、船舶電話などの特殊な用途に限られていた。

    • 1985年に登場したショルダーフォン(NTT技術史料館提供)
      1985年に登場したショルダーフォン(NTT技術史料館提供)

     後の携帯電話につながる自動車電話のサービスが開始されたのは1979年(総務省「情報通信白書」による)。携帯電話が本格的に普及し始めたのは96年だった。

     この頃が、固定電話普及のピークでもあり、以降、携帯電話は年間約1000万台のペースで急増し、2000年に固定電話の数を逆転した。この時期に、事実上の「電波」による通信が「皆」にとって身近になったと考えれば、「郵便と電信」はなくなってこそいないものの、敷津の目には、やはり先の世が正しく映っていたような気がしてならない。

     携帯電話の普及につながる自動車電話についての研究で、日本人初の「工学分野のノーベル賞」と言われる「チャールズ・スターク・ドレイパー賞」を受賞した金沢工業大学名誉教授の奥村善久さん(91)に、敷津の予想をどう思うか尋ねてみた。

     奥村さんは「当時も専門家たちの間で無線通信の有効性は知られていたので、予想はできたと思う」とする一方、「ただ、彼が(無線通信の)専門家でない素人であったら話は別。素晴らしい予想で興味深い」と話した。

     問題は、敷津が一体、何者だったのかだ。謎の男「敷津林傑」という人物に迫ってみた。

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    2018年01月09日 15時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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