だから明智光秀はキレた?本能寺の変「珍説」の真相

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 ハリウッドの人気女優たちが、大物プロデューサーらの長年にわたるセクシャル・ハラスメント(セクハラ)に抗議すべく立ち上がった。戦国武将のこの人も、主君のハラスメントに耐えかねて決起したのだろうか。「本能寺の変」を起こした明智光秀、その真意は?

光秀のカツラ、信長が打ち落とす?

 元衆院議員の豊田真由子氏が元秘書を罵倒した言葉「このハゲーっ!」が昨年の流行語になったが、恒例の「新語・流行語大賞」にはノミネートされなかった。やはり元秘書を罵倒した言葉「ちーがーうーだーろー!」がノミネート30語に入ったが、多くの人の印象に残ったのは「ちーがーうーだーろー!はちがうだろ」というネットの書き込みに表れている。

 「このハゲーっ!」がノミネートされなかったのは、主催者側が人の外見を揶揄(やゆ)する言葉を大賞にするのは不適切、と判断したからだろう。

 確かに「ハゲ」という言葉は使用に注意を要する。お笑い芸人の「ハゲとるやないかい!」が笑いを取れたからといって、安易にまねをすれば相手を深く傷つけることもある。カツラを使っている人にはさらに気遣いが必要だ。

 1582年(天正10年)6月2日、明智光秀(?~1582)が主君の織田信長(1534~82)を討った本能寺の変は日本史最大のミステリーとされ、光秀謀反の動機についてはさまざまな説が唱えられてきた。信長の家臣だった稲葉一鉄の子孫らが書き残したとされる『稲葉家譜』には、光秀が信長にハゲを暴露されたことを恨んだため、という珍説が書かれている。

 「信長は法に(そむ)いた光秀を呼びつけ、譴責(けんせき)して光秀の頭を二、三度叩いた。光秀は髪が薄く附髪(カツラ)をしていたが、この時に打ち落され、信長の仕打ちを深く恨んだ。光秀謀反の原因はここに起因する」

 光秀の「法に背いた」行為とは、一鉄の家臣だった斉藤利三と那波直治を引き抜き、一鉄に返すよう命じた信長の裁定を聞き入れなかったことを指す。2人のうち直治については『稲葉家譜』とは別に、信長が一鉄に返すよう命じたことを記した書状も残っている。書状の日付は5月27日。本能寺の変のわずか4日前だ。

光秀67歳説も…出世のために若作りか

 当時の武士は(かぶと)をかぶっても頭が蒸れないように、頭頂部や前髪を()月代(さかやき)をしていた。どうせ剃るのだから髪の薄さなど関係ないようにも思えるが、横や後ろの髪がないと(まげ)が結えないから、附髪の必要があった。

 この時光秀は55歳とされ、近年では67歳説も有力だ。どちらにしても49歳の信長よりもかなり年上で、頭髪が薄くなる年頃だった。しかも能力重視の信長は、この2年前に働きの悪い譜代の老臣を相次いで追放している。光秀が老け込んだところを見せてはならないと思って附髪をしていても不思議はない。

 ただ、『稲葉家譜』は家譜とは名ばかりの、作者、成立年代がともにはっきりしない「俗書」で、内容はうかつに信じられない。別の史料で裏付けられているのは那波直治なる武将の処遇だけで、光秀についての記述は後世の創作という見方が有力だ。

 私がキャスターを務めるBS日テレ「深層NEWS」にもご出演いただいたライフネット生命創業者の出口治明さんは、自他ともに認める「歴史オタク」だが、その出口さんは『リーダーは歴史観をみがけ』(中公新書ラクレ)の中で、「『戦争と平和』や『坂の上の雲』などの大長編を読んで、十分に歴史を味わった、これ以上はもうけっこう、と言う人がいるとすれば実に悲しいことです」と書いている。これは過去の書物でも同じことで、ひとつしかない史実に迫るには、面白い話でも脚色をそぎ落とし、創作かどうかを吟味しなければならない。

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8449 0 深読み 2018/02/21 05:20:00 2018/02/21 05:20:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20180215-OYT8I50034-1.jpg?type=thumbnail

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