安倍「放送」改革に潜む落とし穴

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ネット上の「偽情報」をいかに防ぐか

 一例を挙げると、日本テレビは報道局に「サイバー戦略部」という部署を設け、ネット情報の真贋(しんがん)チェックに力を入れている。スマホで撮影した写真や動画を簡単にネット上にアップできる現在、ネット上の情報は貴重な「一次情報」であるのは間違いない。とりわけ災害や大事件では、その場に居合わせた人が撮影した映像は、放送局が現地に急派したテレビクルーによる映像よりも勝る場合がある。しかし、事象の注目度が大きいほど、デマや(うそ)もネット上にアップされてしまうのは避けられない。

 ネットでは閲覧数が広告収入に直結するビジネスモデルが存在し、閲覧数を稼ぎやすい注目度の高い事件や事故ほど偽情報がアップされる傾向がある。ネットの匿名性も手伝って、こういう行為はあとを絶たないのが実情だ。加えて、ユーザーの趣向や興味に応じた検索結果を上位に表示する「アルゴリズム」の存在も手伝って興味を喚起しやすいタイトルや内容の偽情報が拡散されやすいという、ネット特有の土壌も存在する。

 たとえば、2016年4月の熊本地震の際、「動物園からライオンが逃げた」「熊本城の石垣が崩れて人が生き埋めになった」というツイッターの投稿が拡散したが、いずれもまったくのデマだった。

 もちろん、テレビ番組でも時折、ネット上の偽情報を放送してしまい、「BPO」(放送倫理・番組向上機構)から厳しい指摘を受けることがあるので、放送局の真贋チェックが100%確実というわけでもないだろう。

 それでも、放送法4条や9条(訂正放送)の規定により、誤った情報を極力排除しようとする姿勢を放送局が保っていることは、国民・視聴者にとって有益なことではないだろうか。4条を撤廃して放送局がネット上の真贋チェックを怠るようになったら、《ネットも信じられないけど、放送も信じられない》という世の中になってしまわないか。それが国民の求めている放送改革の姿だとはとても思えない。

小規模世帯のための中継局はいらない?

 規制改革推進会議で声高に議論されている「放送はケーブルやネットに置き換えればいい」という議論はどうだろう。

 これに関連する放送法の規定は92条だ。放送対象地域で「放送があまねく受信できるように努める」ことを定めている。これは通信事業者にはない規定なので、放送の規制を撤廃してネット並みにする場合は、当然、この規定も撤廃される対象に挙がるだろう。

 だが、地上波はテレビがあれば誰でも無料で、ケーブルテレビは月額料金が発生する有料サービスだ(それぞれ別途「NHK受信料」は必要)。ネットテレビはAbemaTVのような無料広告タイプのものもあるが、パケット通信料は必ずかかる。今は、定額制が主流だが、動画視聴で請求される通信費も、長く払い続ければ侮れない額になる。それが、年金生活者や低所得者層となれば、負担はより重くのしかかるだろう。

 電通メディアイノベーションラボの資料によると、ネットを情報取得ツールとして駆使できる「メディア高関与層」と呼ばれる人たちは国民のわずか21・4%しかいない。「メディア高関与層」に限って言えば、「放送はネットに置き換えられるのではないか」という論法は成り立つかもしれない。

 しかし、国民の半数以上の51・8%は、情報取得の手段を地上波テレビに頼る「メディア低関与層」だ。しかも、「メディア低関与層」には、デジタルデバイスを買いたくても買えない低所得者層や、デジタルデバイスを使いこなせない高齢者層が含まれる。さらに放送法4条の2に基づいて放送局がテレビ番組に付与している字幕・解説放送が、ほぼ唯一の情報を取得する手段である視聴覚障害者にとっては「地上波=情報のライフライン」と言っても過言ではない。

 

熊本地震の情報収集時に役に立ったICTメディア(調査結果の一部抜すい、複数回答)

熊本地震におけるICT利活用状況に関する調査 (総務省が2017年4月に公表)
熊本地震におけるICT利活用状況に関する調査 (総務省が2017年4月に公表)

 一昨年4月の熊本地震を例に掘り下げてみよう。まずは、総務省が昨年4月に公表した、震災発生時の情報収集源として役立ったICTメディアの調査(複数回答)を見ていただきたい。「家族・友人等安否」情報を収拾するための手段として「携帯通話」(70%)と回答した人がトップだったが、そのほか「地震の規模発生場所」(46%)といった地震情報から、「交通・道路情報」(49%)、「食料・水配給情報」(38%)といったライフラインや生活関連情報まで、13分野のうち12分野の情報収集で地上波放送が役立ったと回答している。いかに、緊急時の情報源としてテレビが活用されていたのかを物語るデータだ。

 次の図は、地元テレビ局の熊本市及びその周辺地区の親局と中継局の配置図である。

 

熊本市と周辺中継局の地図(総務省の資料で作成)

 親局の放送波でカバーしているエリアの中にもいくつか中継局が設置されている。地形の形状やビル・建物により親局の放送波が届かない世帯に対して補完的に放送波を送るために設けた中継局で、小島中継局は575世帯、熊本西中継局は2435世帯、熊本春日中継局は3787世帯をカバーしている。

 先ほど引用した有識者の発言を思い起こしてもらいたい。「数百人の人々のために、全国で40チャンネルのエリアでインターネットの利用が完全にストップされているわけです。つまり、日本の産業全体として守るべきなのは、山の奥の数百世帯なのか、インターネットのイノベーションなのか、問題はどちらなのかということです」

 まさに、問題はどちらなのか。熊本地震が発生したら多くの人がテレビのチャンネルをまずはつける行動に出た。その時、小島中継局などの小規模世帯をカバーする中継局がなかったら、その地域に住む人たちは、テレビから生死に関わる情報を得ることができなくなってしまう。それで大丈夫なのか。すべての国民、特にデジタル通信機器や、その通信費を負担することが経済的に厳しい人々にとって、放送は情報を得るための命綱なのだ。

 次の表はケーブルテレビがよく普及している西日本のある県で過去10年に起きたケーブルテレビの「停波」件数だ。

 

過去10年におけるケーブルテレビ「停波」状況(西日本のある県)
原因停波時間
2008年10月山腹崩壊による光ケーブルの断線23時間50分
 12月中継増幅器のコネクタ接触不良1時間25分
2009年11月光ファイバーの断線2時間50分
2010年2月電源供給器の電圧低下2時間10分
 5月中継増幅器の故障30分
 6月土砂崩れによる光ファイバーの断線8時間20分
 7月光アンプの故障2時間50分
2011年1月工事用重機による光ケーブルの断線21時間
 2月豪雪による受信レベルの低下10分
 4月家屋火災による光ケーブルへの延焼4時間15分
 5月装置の不具合2時間45分
 10月光アンプの故障30分
2012年6月工事停電中の自家用発電装置のトラブル50分
 6月中継局の電源断とバックアップ電源の不動作55分
 8月電線路障害15分
2013年3月工事車両による光ケーブルの断線5時間45分
2015年3月伐採作業に起因する光ケーブルの断線4時間15分
2016年3月住宅火災による光伝送路の焼失11時間20分

 停波とは、文字通り電波の送信が止まることだが、その原因を見ると「工事車両による光ケーブルの断線」「家屋火災による光ケーブルへの延焼」「土砂崩れによる光ファイバーの断線」などと書かれている。熊本地震級の大災害では、ひとたまりもないのではないだろうか。

 では、ネットはどうだろう。これは、東日本大震災の時に多くの国民が「なかなか電話がつながらない」「メールが送れない」といった経験があるのではないだろうか。このような現象を「輻輳(ふくそう)」と言う。

 通信のシステム構築は、すべてのユーザーが同時に利用することは想定しておらず、想定を超えるアクセスがあった場合は、発信規制を行うことでサービスを維持している。11年3月の東日本大震災では、携帯電話の音声通信で70~95%、パケット通信で最大30%の発信規制が実施された。

 大規模な災害の発生時などにしばしば「輻輳」が発生し、通信規制がかかる通信よりも、「輻輳」がなくすべての視聴者に同時に情報を伝達できる放送のほうが、災害時の「情報源」として威力を発揮できるのは間違いない。

 それでも、小規模世帯をカバーする中継局は本当に要らないと言い切れるのだろうか。地上波に依存する「メディア低関与層」、とりわけネットに不得手な高齢者や社会的弱者を置き去りにした議論は厳に慎むべきだろう。

ハード・ソフト分離の落とし穴

 それでは、放送と通信の様々なコンテンツ・プレーヤーが自由に競争できるように、放送局を中継局などの放送設備を持つハード会社と、番組をつくるソフト会社に上下分離させて、ソフト部分はネット系メディアのような新規参入者の番組も地上波で見られるようにする、という考え方はどうだろう。

 確かに、電力とガスの自由化、とりわけ発送電分離の実施によって、国民はより安くよりサービスの充実した電力・ガス商品を選択できるようになった。携帯電話も格安スマホの参入で、NTTドコモ、KDDI、ソフトバンクの通信キャリア3社のサービスも向上している。放送と通信のコンテンツが相互に乗り入れることが、コンテンツの多様化やクリエイターの育成を醸成する可能性はある。

 だが、これも制度設計を誤ると、国民にしわ寄せが来ることになる。

 わかりやすい例が字幕・解説放送だ。放送法4条の2は、放送局は字幕・解説放送を「できる限り多く設けるようにしなければならない」と定めている。

 日本テレビの場合、字幕・解説放送にかける制作費は毎年「億を超える規模」(日本テレビ関係者)のコストがかかっているという。このように多大な制作費がかかるのは、字幕・解説放送をすべて人海戦術で対応しているためだ。このような作業は人工知能(AI)を活用すればよいと個人的には思うのだが、「ニュースなど生番組においては、実際の音声を聞き取った熟練の入力者が一字一句をその場で入力する対応をとっている」(日本テレビ関係者)そうだ。

 ちなみに、政府は字幕・解説放送の拡充を奨励しており、これに助成金をつけている。その金額は年額2000万円(16年度)程度なので、放送局はかなりの持ち出しで字幕・解説放送を付与しているのが実情だ。

 東日本大震災の際、日本テレビは発生直後の緊急特番の報道番組に25時間連続して字幕を付与して放送し、全日本ろうあ連盟から感謝状を贈呈されている。

 それでは、放送法4条の2の規定をなくしたらどうなるだろう。ネット上の動画配信サービスへの適用規定はないし、安倍首相は「ネットに規制をかけるつもりはまったくない」と発言しているので、なくすとしたら放送法の規定のほうだ。

 しかし、放送法の規定がなくなれば、少なくとも民放は多額の制作費をかけて字幕・解説放送を続けることは難しくなるだろう。「法律上の要請もないのに、赤字覚悟で事業を継続するのはおかしい」と株主から指摘される可能性があるためだ。

 「それでは字幕・訂正放送のような最低限の規制は引き続き維持しよう。しかし、4条は撤廃してハード・ソフトの上下分離も行うので、自由な発想から多様なコンテンツを国民・視聴者に提供できるようにしたほうがいい」という考え方はどうだろうか。

 放送法92条であまねく中継局を設置することはハード会社に義務づけたとして、字幕・解説放送はコンテンツにかかわる部分なので当然ソフト会社にかかわる規定となる。

 字幕・解説放送は最低限残すというなら、たとえばAbemaTVの運営主体であるサイバーエージェントのようなネット企業が制作するコンテンツを流すときはどうするのか。

 ネット企業に字幕・解説放送の付与を求めないのなら、国民・視聴者にとってはサービスの低下であり、視聴覚障害者にとっては死活的な問題となる。逆に、ネット企業にも字幕・解説放送の付与を求めるのなら、現状はそのような規定はないのだから、安倍首相の言う「ネットに規制をかけるつもりはない」という発言と整合がとれなくなる。

 仮にネット企業には字幕・解説放送の規定は設けないとしよう。その場合、日本テレビが東日本大震災の際、災害特別番組に字幕を長時間付与したような作業は、どこがやるのだろう。災害発生時、たまたまネット企業が制作した番組を放送中だった場合、そのネット企業が緊急特番への切り替えを拒否したり、「字幕付与は自分たちの義務ではない」と主張したりした場合はどうするのだろうか。

 こうやって考えてみると、ハード・ソフトの上下分離が、電力・ガス自由化のような国民の利益に合致するとは限らないのは明白だろう。政府には、慎重にも慎重な制度論議を望みたい。

「DEVILMAN crybaby」が示す改革の方向性

 安倍首相の「ネットに規制をかけるつもりはない」という発言は、ネットの自由空間が様々なコンテンツを生み出しているという長所を失わせてはならない、という考えが根底にあるのではないか。フェイクニュースやデマの拡散に代表されるネットの「負の側面」への対策は必要ではあるが、それでも放送のような規制がネットにも必要だという主張は、おそらく国民にも支持されないだろう。

 であるとすれば、放送は放送の長所を生かし、通信・ネットはそれらの長所を生かす「()み分け」が国民・視聴者の利益にも合致するのではないだろうか。

「DEVILMAN crybaby」より
「DEVILMAN crybaby」より

 そんなふうに思った最近の事例を一つ挙げよう。世界的に有名なアニメーション作家の湯浅政明氏が監督を務めた「DEVILMAN crybaby」というアニメ番組がある。このアニメは動画配信サービス「Netflix」のオリジナルアニメだ。

 永井豪原作の「デビルマン」は1972年に少年雑誌で連載がスタート。合体能力をもち、地上の覇権を奪い返そうとする「悪魔族」に対し、人間の心を持ったまま悪魔と合体してデビルマンとなった高校生が、人類を守るために戦うというストーリーだ。

 70年代に地上波のアニメ番組にもなったが、原作は残虐な場面が多数あるにもかかわらず、子供向けの変身ヒーローものに仕立てられていた。「DEVILMAN crybaby」はそのリメイクなのだが、内容はむしろ原作のテイストを忠実に再現している。残虐シーンはこれでもかというほど出てくるが、読売新聞の文化部記者は、このアニメを紹介する記事の中で、次のように書いている(2018年1月15日夕刊)。

 「キャラクターはポップな絵柄だが、暴力場面や性描写は激しい。(中略)誰でも視聴可能な地上波と違う、動画配信ならではの自由度を生かし、踏み込んだ表現にも挑んだ」

 そうなのだ。動画配信サービスだから、気鋭のクリエイターは原作のテイストに忠実な作品を作り上げることが可能だったのである。

 不特定多数の老若男女、特に青少年が何気なくスイッチをつける地上波では、「暴力場面や性描写が激しい」アニメはやはり放送できないだろう。では、放送法の規制を緩和・撤廃して、このようなネット上のコンテンツを地上波で流すことが、果たして国民・視聴者の望むことなのだろうか。他方で「誰でも視聴可能な地上波」なのだからと「踏み込んだ表現」を手控えさせてしまえば、それはクリエイターにとっても不本意な作品になってしまうだろう。放送の持つ長所、ネットの持つ長所を殺してしまうのでは、何のための改革かわからなくなる。

 安倍首相の言うとおり、技術革新により放送と通信の垣根がなくなってきているのは確かだ。そうした中で、放送は放送の秩序を維持し、ネットは自由な空間として「動画配信ならではの自由度を生かし、踏み込んだ表現にも挑戦できる」ようにしておくことが、結果としてクリエイターを育て、コンテンツ産業を育成することになるのではないだろうか。

 安倍首相や規制改革推進会議には「放送と通信の垣根がなくなっている」ことを議論の起点とするのではなく、「放送の長所は何か。ネットの長所は何か。それぞれの良さ、持ち味を生かすにはどうしたらよいか」という観点から、改革の方向性を議論することを切に望みたい。

プロフィル
加藤 理一郎( かとう・りいちろう
 1999年入社。千葉支局を経て、2005年から政治部で首相官邸や外務省などを担当。盛岡支局に勤務していた11年に東日本大震災を経験し、1年半にわたり震災取材に当たった。18年からメディア局勤務。

10907 0 深読み 2018/03/08 14:30:00 2018/03/08 14:30:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20180308-OYT8I50034-1.jpg?type=thumbnail

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