デフレ脱却の秘策…「勝ち組」信長と「負け組」信玄

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 「風林火山」の旗印の下、精強な騎馬軍団を率いて他国を 震撼(しんかん) させ、治水や外交などにも手腕を発揮した戦国の名将・武田信玄。今も多くの経営者やビジネスマンに信奉されるが、このカリスマリーダーにも弱点はあった。経済政策で、ライバルに大きく水を開けられていたのだ。

「オダノミクス」信長が放った“3本の矢”

 黒田日銀総裁の再任が正式に決まった。「異次元の金融緩和」にはさまざまな副作用を指摘する声もあるが、政府・日銀は「2%の物価目標」の旗印を下ろさず、引き続きデフレ脱却を目指すことになる。

昨年12月、埼玉県蓮田市の遺跡で発掘された古銭入りの大甕(おおがめ)。永楽通宝などが大量に保管されていた
昨年12月、埼玉県蓮田市の遺跡で発掘された古銭入りの大甕(おおがめ)。永楽通宝などが大量に保管されていた
兵庫県で発見された永楽通宝
兵庫県で発見された永楽通宝

 日本経済は過去に何度かデフレに見舞われている。織田信長(1534~82)が天下統一に乗り出した戦国時代末期も貨幣(通貨)不足によるデフレのただ中にあった。当時使われていた貨幣は中国((みん)(そう))から輸入された永楽通宝などの銅銭だったが、明が輸出を禁じたことで銅銭の流通量が急減した。モノやサービスより貨幣の価値が上がるデフレ下では貨幣は使わず()め込む方が得だから、消費が鈍り、不況になりやすい。

 天下統一には巨額の軍資金が必要だが、デフレ下で増税すればますます消費が鈍り、デフレスパイラル(悪循環)に陥りかねない。そこで信長は、足利義昭を奉じて上洛した1568年(永禄11年)以降、大胆なデフレ脱却策を矢継ぎ早に打ち出した。今の日本経済とは規模も仕組みも異なるが、オダノミクスと勝手に名づけてアベノミクスと比べてみると、重なる政策が多いことに気づく。

 第1の矢は「大胆な金融緩和」。その柱は〈1〉明銭の永楽通宝を「基準通貨」とし、国内で鋳造されたり、割れたり欠けたりした質が悪い銅銭(悪銭)との交換レートを定める〈2〉金貨、銀貨、銅銭の交換レートを定め、高額な輸入品の取引で金貨と銀貨の使用を認める〈3〉米を通貨として使用することを禁じる――の3点だ。

「鳴かぬなら…」非情な男のソフトな施策

 室町幕府や各地の戦国大名はたびたび撰銭令(えりぜにれい)を出して悪銭の使用を禁じたが、信長は交換レートを定め、悪銭の使用を幅広く認めた。これまでとは逆の“不撰銭令”で貨幣の流通量を増やそうとしたわけだ。私的に鋳造された銘(文字)がない「無文銭」まで使用を認めたのは信長が初めてだ。

 信長は交換レートを当時の商取引の実勢レートに基づいて決めた。悪銭の流通が拡大し、商取引の現場で特に質が悪い悪銭「ビタ」が貨幣の最小単位になると、それも追認している。「ビタ1文」という言葉は今も使うが、配下の兵の宿泊費を「ビタ5文」と定めた軍令が残っている。「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」のイメージとは異なり、信長は経済政策では「市場との対話」を心がけ、鳴かせてみたり、鳴くまで待ったりしていたようだ。

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14627 0 深読み 2018/03/20 11:45:00 2018/03/20 11:45:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20180315-OYT8I50025-1.jpg?type=thumbnail

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