忖度?公文書書き換え、江戸時代も…将軍自ら追及

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 国家を揺るがす事件の闇に、将軍が自ら迫る――。時代劇でも小説でもない、江戸初期の実話だ。徳川3代将軍・家光が直々に“証人喚問”し、解明を試みたのは、約30年にわたって秘密 () に行われていた「公文書書き換え」事件。それも、豊臣秀吉の朝鮮出兵で断交した日朝間の国交回復をめぐる文書の改ざんという歴史的不祥事だった。

幕府を揺るがした国書書き換え

 森友学園への国有地取引に関する財務省の決裁文書の改ざんが大きな問題となっている。私がキャスターを務める「深層NEWS」でも、この問題を何度も取り上げた。「省庁の中の省庁」が、歴史の証しでもある公文書を改ざんして国会を欺いた。元財務官僚の片山さつき参議院議員が「財務省がこれをやってはおしまいだ」と嘆いたのは当然だ。

 与野党が「前代未聞の歴史的犯罪だ」と財務省を非難するのを聞いて、過去にも公文書の改ざんが大問題になったことはなかったのか調べてみたら、あった。江戸時代に公文書中の公文書である「国書」の書き換えが発覚し、3代将軍・徳川家光(1604~51)が、諸大名を列席させて、じかに“証人喚問”まで行っていた。事件の名を「柳川一件(やながわいっけん)」という。

 慶応大名誉教授の田代和生(かずい)さんは、この事件の顛末(てんまつ)を詳細に調べ上げ、『書き替えられた国書』(中公新書)にまとめている。この本をもとに事件の経緯をたどってみよう。

 豊臣秀吉(1537~98)の2度にわたる朝鮮出兵(文禄・慶長の役)で朝鮮は大きな損害を受け、日本の撤兵後も日本と朝鮮との国交は断絶したままだった。古くから日朝貿易で利益を得ていた対馬の宗義智(そうよしとし)(1568~1615)は独自のルートで国交回復を模索し、1605年(慶長10年)には朝鮮から対馬に来ていた外交僧らを徳川家康(1543~1616)・秀忠(1579~1632)父子と会見させることに成功した。

朝鮮側が突きつけた難題

 家康から「交渉を進めよ」とのお墨付きを得て義智は事前交渉を加速させたが、途中で難題が持ち上がった。国交回復に不可欠な国書の交換について、朝鮮側が「日本側から先に出せ」と求めてきたのだ。

 先に国書を差し出すことは相手への恭順を意味するから、家康が()んでくれるかどうかわからない。しかし、「朝鮮側が先だ」と押し返せば交渉は長期化し、「では、宛名は誰にすればいいのか」と問われる恐れもあった。このころはまだ大坂に豊臣秀頼(1593~1615)がいた。朝鮮側が「交渉相手は出兵を決めた秀吉の遺児・秀頼だ」とでも主張してきたら、交渉はご破算になるかもしれない。

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35367 0 深読み 2018/04/03 11:50:00 2018/04/03 11:50:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20180330-OYT8I50045-T.jpg?type=thumbnail

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