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    教育

    学校に行けない…「不登校50年」が問い直すもの

    不登校新聞プロジェクト統括 山下耕平

    「自分は悪い子」と泣いた

    • 「不登校新聞」の編集部(東京都北区)
      「不登校新聞」の編集部(東京都北区)

     「不登校50年」の連載には、学校に行けなくなった不登校経験者も登場する。1987年、小学4年のときに学校へ行かなくなった男性が当時の心境を打ち明けている。

     

     「学校は絶対に行かねばならないと強く信仰していると、ちょっとの休みで、『いけないことをしてしまった。もう顔見せできない』と思って、1週間、2週間と休むようになって、それが1か月、2か月となって、どんどん行けなくなってしまう。私の場合は、そんな感じで学校に行けなくなって、『もう人生おしまいだ』と思っていました」

     男性は「自分は悪い子だ」と親に訴えて泣き、物に当たり、苦しんだという。

    「学校は行かなきゃいけない」

    • 不登校新聞の編集部で
      不登校新聞の編集部で

     いじめをきっかけに不登校になったエピソードを語る当事者もいる。

     高度経済成長期の1970年代に小学生だった男性だ。高等教育を満足に受けられなかった親世代が、子どもには教育を受けさせ、良い学校を出て、良い会社へという将来を望む社会の風潮があった。

     進学熱が高まる一方で、放課後になると、草野球に興じる子どもたちもいる、そんな時代だった。だから、進学塾組と草野球組は対立することがあった。進学塾に行っている子たちは、テストの点数を伸ばし、偏差値を上げなきゃいけないというプレッシャーを背負わされた。自由気ままに草野球で遊ぶ同級生をねたましく思い、攻撃の対象にした。

     「帰り道に隠れていて、いきなり6人がかりで蹴られたり、筆箱を隠されてしまったり、定規におしっこをかけられて、それを筆箱に入れられたり、いろいろ陰湿なことをされていました」

     学校が安全な場所ではないと思った男性は、小学6年で学校に行けなくなった。それでも、「学校は行かなきゃいけないところ」「学校へ行かないことは大問題」という葛藤をずっと抱えていた。

    2018年04月16日 07時16分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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