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    文化

    戦国のおっさんずラブ…英雄たちの恥ずかしい手紙

    読売新聞編集委員、BS日テレ「深層NEWS」キャスター 丸山淳一
     一途な思いを打ち明けたラブレターを、教室の黒板に張り出される。罪なイタズラを仕掛けられた子どものように、戦国の英雄たちも後世、秘密の手紙を暴露されている。嫉妬して取り乱す相手に「あいつとは何でもない、ウソじゃない」と武田信玄が釈明すれば、伊達政宗は浮気の ( ) ( ぎぬ ) を着せた相手に「自分が恥ずかしい。どうか分かって」と許しを請う。彼らを夢中にさせた相手は、いずれも男性だった。

    時代の変化?実は後戻り?

    • 性に対する意識は確実に変わりつつある(写真はイメージです)
      性に対する意識は確実に変わりつつある(写真はイメージです)

     「ボーイズ・ラブ(和製語boys love)男性同士の恋愛を描く、主に女性向けの小説・漫画などのジャンル。BL」

     「エル・ジー・ビー・ティー【LGBT】(1)レズビアン・ゲイ・バイセクシャルおよびトランスジェンダーを指す語。GLBT (2)広く、性的指向が異性愛でない人々や、性自認が誕生時に付与された性別と異なる人々」

     今年1月、10年ぶりに大幅改訂された岩波書店の『広辞苑 第7版』に、新たに「ボーイズ・ラブ(BL)」と「LGBT」が追加された。お茶の水女子大は、戸籍上は男性だが心の性は女性であるトランスジェンダーの学生を、2020年度から受け入れると発表した。『広辞苑』は1991年改訂の第4版以前は同性愛を「異常性欲」と解説していた。少しずつではあるが、性に対する意識は確実に変わりつつある。

     中年男のBLを描いたドラマ『おっさんずラブ』(テレビ朝日系)への大反響も、意識の変化を示す現象だろうか。BLは『広辞苑』が定義する通り「女性向けの小説・漫画」での話と思っていたが、ネット上ではドラマの頭文字をとった「OL民」が、ドラマ終了後もおっさんの恋愛を熱く語り合っている。同性愛に対する偏見や差別、葛藤などに入り込まず、登場人物の心の移ろいをきちんと描いた普通の恋愛ドラマに仕上げたことが、幅広く支持を集めた一因のようだ。

     この流れは変化ではなく、後戻りなのかも知れない。歴史上の人物のBLは、枚挙にいとまがないほど記録がある。興味本位の後世の推測も混じっているから、すべて史実とは言えないが、本人自筆の一級史料や日記に記されている内容まで俗説と片づけることはできない。

    意外に小心、信玄が演じたラブコメディー

    • JR甲府駅前の武田信玄像。「戦国最強」と怖れられた猛将だが…
      JR甲府駅前の武田信玄像。「戦国最強」と怖れられた猛将だが…

     BLに関する自筆の手紙が残る武将といえば、武田信玄(1521~73)だろう。1546年(天文15年)、26歳だった信玄(当時は晴信)が「弥七郎」という男性と浮気したという(うわさ)が立つ。本命の恋人だった「春日源助」に詰め寄られた信玄が釈明する手紙が残っている。

     「弥七郎に夜伽(よとぎ)の相手をさせてはいない。これまでにもそんなことはない。昼であれ夜であれ弥七郎と行為に及んだことはない。とりわけ今夜については考えられない。(源助とは)特別に仲良くしたいのに疑われ、困惑している」

     この前には、「弥七郎に何度も言い寄ったが、腹痛(虫気)を理由に断られたからどうにも仕方がない。これはウソではない」と解釈されてきた第一文がある。家臣とはいえ嫉妬に狂う恋人に「別の男に何度も言い寄った」と告白し、「腹が痛い、と夜伽を断られたから仕方ない」と開き直り、「これは本当の話だ」とダメを押すとは、信玄はずいぶん身勝手な男と読める。

     だが、東京大学史料編纂所教授の鴨川達夫さんは『武田信玄と勝頼』(岩波新書)のなかで、この解釈に異を唱える。信玄と弥七郎の噂を聞いた源助は信玄の釈明に納得せず、「弥七郎から直接釈明を聞きたい」と信玄に迫った。信玄はその要望を弥七郎に伝えたが、弥七郎は腹痛を理由に断った。おそらく信玄と弥七郎は示し合わせて仮病を使い、源助の追及を逃れようとした――というのが鴨川さんの見立てだ。

     そうならば第一文は「弥七郎に(源助にじかに釈明するように)何度も伝えたが、腹痛を理由に出頭を断られたから仕方ない。これはウソではない」という解釈になる。身勝手どころか、恋人をなだめて修羅場を避けようと右往左往する信玄の姿が浮かんでくる。

     この手紙とは別に、自分の命令に対する部下の評判を非常に気にする書状も残っており、信玄は意外と気が小さかったとみられている。威風堂々のイメージが強い信玄が「おっさんずラブ」にも似たラブコメを演じていたとすれば結末が気になるところだが、残念ながらその記録はない。

     ちなみに「源助」は武田家を支えた重臣、春日虎綱(後の高坂昌信、1527~78)とみられてきたが、「春日」の二字は後世に書き加えられたことが分かった。虎綱の幼名は源助ではなく源五郎で、今では信玄と虎綱の恋愛関係は否定されている。

    2018年07月17日 07時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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