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“禁じられたタトゥー”民族文化奪還の動き

もう一つの動きは、民族固有の文化や生活様式を取り戻そうとする運動が、世界各地で活発化していることだ。オセアニア、ポリネシア、台湾などの先住民族の多くは、かつての植民地時代にタトゥーやピアシング、ボディーペインティングなどの伝統を「野蛮な風習」として禁じられた歴史を持つ。近年の多文化主義(多様な人種、民族の文化を尊重し、共存を図るべきという考え方)に基づき、民族の伝統を自ら復興させようとする運動と、それに理解を示す考えが広まりつつある。
シドニー五輪が開催された2000年、オーストラリアのニューサウスウェールズ州当局は衛生基準をタトゥーやピアス向けに新たに設置した。12年からは施術者の免許・営業登録制を導入した。これは、オリンピックを機に増える観光客対策であり、多文化主義政策の一環でもあるだろう。現在、同国では各州の法律を青少年向けに解説するサイトLawstuffに、文化的バックグラウンドのある入れ墨やピアスについて、学校や職場で禁じるのは法的な根拠がなく、差別的な扱いとなる、と示している。
二つの動きは、前者が「流行」という浮き沈みを伴うのに対し、後者は右肩上がりと言える。これらが絡み合って、今回のW杯で見られたような、世界的な潮流を生み出したのだと考えている。
文明開化と“入れ墨タブー”

これに対し、日本では、タトゥーを「(犯罪を想起する)入れ墨」と捉え、公共の場から締め出そうとする“入れ墨タブー”が社会に浸透している。
温泉施設やホテルの大浴場などは「イレズミの方お断り」が大半だ。タトゥーがある人の利用を禁じる法的根拠はないが、観光庁によれば、アンケートに答えた全国の旅館、ホテルの56%が、自主的に利用拒否の姿勢を打ち出している。一方、神奈川県逗子市は「他の利用者を畏怖させるもの」との条件付きで、海水浴場利用者のタトゥー露出を条例で禁じている。橋下徹大阪市長(当時)が2012年、市職員の「入れ墨に関するアンケート調査」を行ったのも記憶に新しい。
江戸時代、罪を犯した者に入れ墨をする刑罰があった一方で、職人や町人、火消しなどの間で「彫り物」(「入れ墨」は犯罪を想起させるため、彫り師やとび職などの間ではこの言葉を使う)が流行し、文化として成熟を見た。先述のジョージ5世やニコライ2世のタトゥーは、彼らが明治時代に来日した際、「土産」として入れたものだ。
だが、明治政府は、法律や条例により入れ墨を禁止した。欧米列強との不平等条約改正を進めるにあたり、野蛮国と見なされるのを避けようとしたためとされる。
第二次大戦後の日本では、青少年を除いて明文でタトゥーを禁じる法的根拠はなくなったが、「やくざ映画」などの影響もあり、入れ墨を犯罪や反社会的勢力と結びつけて考える人が増えた。温泉などの利用を拒否するケースは戦後まもなくから見られたが、1992年の暴力団対策法(暴対法)施行以降は警察の指導などもあり、そうした例が急増していった。