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    文化

    人間味あふれる「将棋指し」がいた時代

    将棋九段・先崎学
     夏が終わると、将棋界では竜王戦七番勝負など大きな勝負が目白押しとなる。羽生善治竜王や藤井聡太七段の活躍で将棋に注目が集まる中、棋士の素顔にも関心を持つ人が増えている。ただ、個性という点では、一昔前の方がユニークな棋士が多かったようだ。人工知能(AI)の一種である将棋ソフトを使った研究が当たり前の現代とは違い、以前は棋譜を並べ、詰め将棋を解くといったアナログな勉強法しかなかった。その分、盤上では人間味あふれるドラマが繰り広げられていた。棋士というより「将棋指し」の名が似合う人たちが活躍した時代を、肌で知っている先崎学九段(48)が振り返る(取材・構成=読売新聞メディア局編集部次長 田口栄一)。

    飛行機、旅館…とことんまで張り合う

    • 米長邦雄永世棋聖。大山十五世名人とはあらゆる場面で張り合った
      米長邦雄永世棋聖。大山十五世名人とはあらゆる場面で張り合った

     先崎九段の師匠である米長邦雄永世棋聖は、若い頃から何度も痛い目に遭わされた大山康晴十五世名人に何としても勝ちたいと思っていた。そのチャンスが巡ってきたのが1983年。60歳目前の大山、39歳で脂の乗った米長が、ほぼ同じ時期に行われた王将戦と棋王戦の二つのタイトル戦で戦うことになった。

     「木村義雄十四世名人、大山十五世名人と来て、次はどうなるか。大山十五世名人を先に倒すのは中原誠(十六世名人)先生か米長先生か、となった時に、米長先生は(自分が先に)大山十五世名人に勝ちたかった。ところが、中原先生に先を越され、大山十五世名人にも勝てなかったから、すごく悔しい思いがあったわけです。

     勝負というものは若い方が勝たなければならない。それなのに大山十五世名人に勝てないから、米長先生は頭がかっかとするわけですよ。米長先生は当時、将棋連盟の会長でもあった大山十五世名人とは、連盟の『内政』問題でも張り合っていた。それもあって『絶対に負けられるか』と思っていました」

     米長は大山とあらゆる場面で張り合った。同じ飛行機に乗れば、着陸してシートベルト着用サインが消えた時に、どちらが先に出口までの列に並ぶかを競った。旅館に泊まれば、自分の方が忙しいことを示すために、どちらが早く宿を出るかで勝負をしていた。

     「本当かどうかは知りませんが、飛行機でどちらが先に列に並ぶかという競争は、あの当時、政治家がよくやっていたらしいですよ。将棋の世界も今とは全然違っていて、盤外での気合も勝負のうち、気合負けしたら終わりという空気はありました」

     結局、この年の王将戦は4勝1敗、棋王戦は3勝0敗で、いずれも米長が制した。

    2018年08月20日 15時36分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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