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病魔に襲われ、最後は車椅子で仕事をやり遂げた香川俊介・元財務次官が世を去ってから、この8月で3年が経 った。懐の深い人柄と広い人脈で、「不世出の財務官僚」と評された香川。生きていれば、相次ぐ不祥事で信用を失った古巣をどう叱咤 激励したのか。その生きざまから「遺言」を探った。(敬称略)
逃げない姿勢


首都近郊の広大な霊園。3年前の2015年7月まで次官を務め、1か月後の8月9日、58歳でこの世を去った香川が眠る。この8月に訪れると、その早過ぎる死を惜しむように、花やカップ酒が供えられていた。
逃げない姿勢。約36年にわたった官僚人生で香川が貫いたものだ。仕事で対立関係にあった人さえ、その気骨を認める。
小泉内閣当時、香川は公共事業担当の主計官として、大幅な予算カットを巡り、自民党の族議員らと激しく
財務省のライバル、経済産業省も舌を巻いた。香川と東大で同級生だった高原一郎(元資源エネルギー庁長官)は、「『政VS官』、『財務省VS官邸』。彼は世間で言われる対立の構図を超越した存在だった。人間的な懐の深さがあったから、それができたんだろう」。
政治家の扱いでは手だれがそろう財務省内でも抜きんでていた。当時、主計局で香川と机を並べていた同期の木下康司(元財務次官)は、「彼は真正面から歳出改革の必要性を説き、政策の上では対立しながら、政治家の信頼を失うことはなかった。これは誰も
小沢一郎、菅義偉、野田佳彦……。その「人間力」は多くの大物政治家も