日本橋の真上に首都高…意外と知られてない真相

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 東京の大繁華街・銀座から中央通りを北へ向かうと、その橋に行き当たる。空を低く横切る高架の側面に、大きな字で「日本橋」と書かれたプレート。上に見えるのは首都高速道路で、真下に (たたず) むのが由緒ある日本橋だ。かつての景観を取り戻したいと望む人々の声に押され、高架は撤去されることになったのだが……。

「景観回復」に3200億円

首都高が真上を通る日本橋(東京都中央区)
首都高が真上を通る日本橋(東京都中央区)
BS日テレ「深層NEWS」より
BS日テレ「深層NEWS」より

 東京の日本橋の上を走る首都高速道路を地下化する事業の概要がまとまった。日本橋周辺の約1.2キロを地下トンネルとし、橋をまたぐ高架を撤去する。あわせて周辺では大規模な再開発が進められる。地下化は2020年の東京五輪後に着工し、完成まで10~20年かかる見通しだ。

 日本橋の首都高地下化は小泉純一郎元首相も進めようとしたが、巨額の費用負担がネックになって進んでこなかった。総事業費を3200億円に圧縮し、東京都と中央区が計400億円を負担するなどして、ようやく財源のめどがついた。

 だが、圧縮したとはいえ事業費は巨額だ。小池知事は今の日本橋を「イケてない」と言い切り、事業の意義を強調するが、そもそも首都高が上をまたぐまでの日本橋は、そんなに素晴らしい景観だったのだろうか。


物流・経済の中心…江戸開府とともに

BS日テレ「深層NEWS」より
BS日テレ「深層NEWS」より

 日本橋は、徳川家康(1543~1616)が江戸に幕府を開いた1603年(慶長8年)に、全国の大名を動員した「天下普請」によって架けられた。家康は江戸の町と江戸(みなと)を結ぶ水路の動脈として日本橋川を整備する都市計画を急いでおり、江戸城より日本橋の普請を優先したという。

 家康は日本橋を陸路の大動脈となる五街道の起点とし、水路と陸路の動脈を交差させている。当初からこの橋を江戸と日本の物流・経済の中心に据えようとしたのだろう。日本橋の名前の由来には「天下普請で日本中から人が駆り出されたから」「当初は2本の丸太橋だったから」など諸説あるが、『慶長見聞集』には「不思議なことに、完成前から皆が日本橋と呼んだ」とある。「日本橋は江戸の中心、江戸の中心は日本の中心」という家康の思いは江戸っ子たちにも伝わっていたようだ。

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40760 0 深読み 2018/09/13 05:20:00 2018/09/13 05:20:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20180910-OYT8I50005-T.jpg?type=thumbnail

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