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    芸能

    安室奈美恵「情報時代の歌姫」…カッコよさと弱さと

    ポップカルチャー研究者 柿谷浩一
     「9月16日以降、私がこうしてステージに立つことはありません」――。安室奈美恵は引退前最後となるツアー最終日の6月3日、こう宣言してステージを後にした。「みんな元気でね。ばいばーい」。その時が近づいている。デビューから25年、Jポップの世界を先導し、ファッションリーダーとしても活躍した歌姫が引退する。「安室奈美恵」とは何だったのか。ポップカルチャー研究者の柿谷浩一さんに解説してもらった。

    人気を確立した2度のブレイク

    • (画像はイメージ)
      (画像はイメージ)

     引退発表後、各メディアがこぞって安室奈美恵の軌跡を振り返った。

     1992年9月に沖縄アクターズスクールからデビュー、アムラー現象、沖縄サミットのテーマ曲、10代、20代、30代のそれぞれでミリオンを達成したベストアルバムの偉業、NHKのリオデジャネイロ五輪・パラリンピックのイメージソング……。

     どれも印象深いが、彼女が絶大な人気を得たターニングポイントに、必ずしも十分な光が当たっていない感じも受けた。

     安室はデビューからスターだったタイプではない。下積み的な数年を経て、1995年からヒットチャートを席巻し、R&Bなど自身の音楽を追求した時期を挟み、2008年に再びミュージックシーンの最前線に戻ってくる。つまり、彼女は《2度のブレイク》を経験し、それによってトップスターの「人気」を確立してきた。その中で、若者たちの心をいかにつかんだか。いま一度確かめておきたい。

    夢や希望よりも、確かなもの

     最初のブレイクは95年。「TRY ME ~私を信じて~」(95年1月)でヒットを飛ばした後、人気を不動にしたのは小室哲哉のプロデュース曲からだ。

     それを支えたのが、「時代」を映す歌詞だ。あまり注目されないが、デビュー曲「ミスターU.S.A」(92年9月)から「Stop the music」(95年7月)までのシングル7曲は全てラブソングだった。歌詞にも「恋」「愛」「LOVE」の語があからさまに頻出していた。

     それに対し、小室の手がけた最初の「Body Feels EXIT」(95年10月)、「Chase the Chance」(95年12月)、「Don’t wanna cry」(96年3月)の3曲は恋愛色を弱めて、代わりに若者の“生き方”を前面に出した。

     「何か見えずに だけど何かを/見つけた」くて、もがく焦燥。「楽しまなきゃ生きてる意味がない」と感じ、今を求める刹那さ。「傷つけられたくない」ために「うずくまってガマンして」毎日をやり過ごす閉塞感……。

     阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件が社会に不安をもたらす一方で、Windows95の登場でネットやメールが普及し、ライフスタイルが急変した時代だった。そうした“変質する社会”と、そこに生きる“若者の心境”を、安室の曲は巧みにすくい取ってみせた。

     しかも、そこに夢や希望といった曖昧な答えでなく、一つの明確なビジョンを示した。

    2018年09月15日 07時38分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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