覇王信長も恐れた?「正倉院」1200年の奇跡

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 小学校の卒業時などに「タイムカプセル」を埋めるのは、地中が長期保存に最も適しているからだ。倉庫などでは、紛れたり、盗まれたり、火事に遭ったりするリスクがつきまとう。にもかかわらず、1200年を超えて世界レベルの至宝を守ってきた奈良の正倉院は“奇跡の保管庫”と言える。その威厳は、傍若無人で聞こえた戦国の覇者をも (かしこ) まらせたという。

官爵ない人にも至宝を…門戸開いた文豪

正倉院展開催を前に東京で開かれた「正倉院フォーラム東京」。松本伸之・奈良国立博物館長が出品宝物の写真を示しながら説明した
正倉院展開催を前に東京で開かれた「正倉院フォーラム東京」。松本伸之・奈良国立博物館長が出品宝物の写真を示しながら説明した

 今年も正倉院展(主催・奈良国立博物館、特別協力・読売新聞社)が始まった。70回目の節目で平成最後の開催となる。メモリアルイヤーにふさわしい56件(うち初出展10件)の宝物が公開されている。今回の正倉院展の見どころについては、ヨミウリ・オンラインの特設サイトをご覧いただきたい。

 開会式のあいさつで宮内庁正倉院事務所の西川明彦所長は「宝物を官位や爵位がなくても見られるようにしたのは、実は森鴎外(1862~1922)なのです」と紹介した。晩年に帝室博物館総長兼図書頭(ずしょのかみ)に就任した鴎外は、年に一度の宝物の虫干しにあわせて研究者にも公開するよう働きかけ、1920年(大正9年)度から研究者が宝物を調査できるようにしている。

奈良国立博物館に残る「鴎外の門」
奈良国立博物館に残る「鴎外の門」

 鴎外自身も総長に就任してから5回も奈良に泊まり込み、熱心に宝物を見ている。そのときの宿舎の遺構が、博物館新館東側に残る「鴎外の門」だ。鴎外最後の作品とされる和歌集『奈良五十首』は、この時の思いをまとめたものだ。10首目に、こんな歌がある。

 「ゆめの国 燃ゆべきものの 燃えぬ国 木の校倉の とはに立つ国」

 とうに焼けてしまっておかしくない木の校倉造(あぜくらづくり)の建物が、焼けずに今も立っている。そんな奈良を鴎外は「夢の国」だというのだ。

 展覧会の方式で宝物の一般公開が恒例になったのは戦後のことだ。宝物は戦時中、空襲などを避けるため奈良帝室博物館(現・奈良国立博物館)に保管されていたが、1946年(昭和21年)に正倉院に戻す際、奈良市民から「戻す前にぜひ見せてほしい」との声が上がった。それならば、と一度限りのつもりで展覧会を開いたところ、長蛇の列が博物館を取り巻き、入場まで半日以上かかる大盛況となった。敗戦直後の打ちひしがれた空気の中で「生きる希望や力をもらった」という声が寄せられ、翌年以降も正倉院展を開くことになった。

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