箱根駅伝をつくった「日本マラソンの父」金栗四三

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 2020年東京五輪に向けて「日本マラソンの父」、 金栗四三(かなくりしそう) (1891~1983)の生涯を描くNHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック (ばなし) ~」が来年1月にスタートする。読売新聞夕刊では、堂場瞬一さんが金栗を主人公に『 (はし) る男 小説 金栗四三』を連載中だ。「 韋駄天(いだてん) ・金栗」とはどんな人物だったのか。

勉学が得意、運動苦手だった幼少時

20歳頃の金栗四三(熊本県玉名市役所提供)
20歳頃の金栗四三(熊本県玉名市役所提供)

 金栗が生まれ育ったのは熊本県春富村(現在の和水町)の山間地だった。この地区では高等小学校に走って集団登校する習慣があり、金栗も往復12キロを毎日走って通学した。

 ノンフィクション作家の佐山和夫さんによると、金栗はむしろ勉学が得意で、走行通学では最初は上級生についていくのがやっとだった。だが、走るうちに呼吸を2度に分けると楽になることを知り、走りが楽しくなったという(『箱根駅伝に賭けた夢』)。

 東京高等師範学校(東京高師、現在の筑波大学)に進学した金栗は、校長だった嘉納治五郎(1860~1938)と出会う。嘉納が学校の長距離走大会で1年生ながら3位に入った金栗の素質を見抜き、「日本柔道の父」が「日本マラソンの父」の人生の師となったいきさつについては、以前にも紹介した。体格や素質に恵まれていたわけでなく、幼少時には運動はむしろ不得手だったのに、徹底的に研究して第一人者になっていく嘉納と金栗の競技人生は実によく似ている。

 嘉納の勧めで、徒歩部(陸上部)で練習を重ねた金栗の初マラソンは、嘉納が開いたストックホルム大会の五輪予選会だった。履いていた足袋が破れて素足になりながら、本番とほぼ同じ25マイル(40.225キロ)を2時間32分45秒で走り、当時の記録を27分も縮める驚異的な世界新記録で優勝した。

ストックホルム五輪国内予選会優勝の記念写真(ゼッケン51番が金栗)=玉名市役所提供
ストックホルム五輪国内予選会優勝の記念写真(ゼッケン51番が金栗)=玉名市役所提供

 だが、この世界新記録は鵜呑(うの)みにはできない。この時の予選会のコースの距離は実地測定ではなく、2万分の1の地図を使って机上で測量されている。予選会の記録は3位までが世界新を更新しており、実際のコースは25マイルより短かったのではないか。もし25マイルあったとしても、前回ロンドン大会は26.22マイル(42.195キロ)で行われているから、その優勝タイムを上回ったといっても、手放しでは喜べないはずだ。

 こうした見方は予選会直後から出ていたが、「初マラソンで世界新」の偉業の前にかき消され、金栗は一躍、時の人となる。嘉納も「日本人は戦争などでは驚くべき忍耐力を発揮する。世界記録が続出したのもそれに類するものと見ればよかろう」(『日本スポーツ創世記』)と、五輪への前景気をあおった。重圧に耐えかねた金栗は代表辞退を申し出たが、嘉納は「捨て石や礎になることはつらいことだが、日本のスポーツ界の黎明(れいめい)の鐘になってくれ」と説得している。2人とも世界新が本当の実力ではないことは分かっていたのだろう。

 

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56038 0 深読み 2018/12/16 07:00:00 2018/12/16 07:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20181213-OYT8I50025-T.jpg?type=thumbnail

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