「武士」という存在に罪を感じた男の生き様

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浅田次郎(あさだ じろう)/1951年生まれ。1995年『地下鉄に乗って』で吉川英治文学新人賞を受賞。以後、『鉄道員』で直木賞、『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞、『お腹召しませ』で中央公論文芸賞・司馬遼太郎賞、『中原の虹』で吉川英治文学賞、『終わらざる夏』で毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で大佛次郎賞などをそれぞれ受賞。(撮影:尾形文繁)
万延元年(1860年)、不義密通の破廉恥罪で、蝦夷松前藩へ流罪判決が下った将軍家近侍の旗本・青山玄蕃(げんば)、35歳。その押送人(おうそうにん)を押し付けられたのが、武士の最底辺・足軽次男から見習与力となった石川乙次郎、19歳。さながら凸凹名コンビのお笑い珍道中で始まる物語は、奥州街道を北上し終点の津軽海峡へ近づくにつれ、一気に重いテーマへと入っていく。『流人道中記』を書いた作家の浅田次郎氏に聞いた。

あだ討ちは「家の存続」のためだった

──絶妙な間合いで茶々を入れる玄蕃に、終始振り回される乙次郎。流人(るにん)と押送人なのに誰が見ても主人と家来。宿所選びでケンカし、酒を飲む飲まないでケンカし(笑)。乙次郎の妹などまるで現代のJK。途上出会う、親の敵探しに7年旅する武士は「今どきあだ討ち⁉ バカバカしい」と内心思ってる。登場人物それぞれの息づかいまで聞こえてきそうな描写が新鮮でした。

あの時代、あだ討ちの正体は親の遺恨を晴らす名目に事寄せた、家の存続だった。武士である限り俸禄は個人にではなく、家に支払われる。武士にとって家を守ることこそ一大事。家を継げない次男坊以下は、乙次郎のようにいい婿入り先に拾われるべく、必死で勉学や剣術に励む。あぶれようものなら冷や飯食いのまま野たれ死ぬ。

──道中、宿場宿場で抜き差しならない事情を抱えた人々と出会い、事件に巻き込まれ、というか、玄蕃たちのほうから首を突っ込んでいきます(笑)。その中に1つ、読後モヤモヤが残るエピソードがありました。玄蕃があだ討ちの見届け人を買って出る話で、意図せず罪を犯し投獄されたでっちの命を犠牲にし、結果的に武士2人を救う場面。実はヒューマニストであった玄蕃でも、少年の命より、武士にあだ討ちの愚を悟らせるほうを選んだということですか。

善人を装った強盗を店に導き入れ、結果的に主殺しに加担してしまったのは、知らなかったじゃ済まない大罪中の大罪。少年の命を救えないことを玄蕃は知っていた。でも、見捨てていいのかと彼は考えたんだね。そもそもあだ討ちと少年の処罰とは無関係。だけど、自分の死で他人を救うことを善行として少年の魂を往生させたい、と玄蕃は考えたんじゃないか。

ただ、あの場面は読み返すごとに二重三重の解釈が可能なんです。実はそんな仕掛けをこの小説ではあちこちに仕込んである。

──ほかにも押し込み強盗と飯盛り女、賞金稼ぎの浪人、村伝いに送り届けの世話になる巡礼寡婦など、皆、事情を抱え必死で生きている。唯一の悪人は、終盤で浮上する、玄蕃を流人の身におとしめた同じ高位の武士くらいでしょうか。

でもね、世の中、善と悪とをそう簡単に決めつけられるもんじゃない。事の発端である玄蕃をわなにはめた武士も、家制度という封建主義の犠牲者だと玄蕃は思い、あえておのが身で罪を被った。だからこそ自分は偽りの権威で塗り固められた家制度を潰す。それこそ玄蕃にしかできない戦だった。

切腹は自らの正義に反することだった

──ぬれぎぬを着せられ、いったんは切腹を言い渡された際、「己の信ずる正義を恥として腹を切るなど、それこそ怯懦(きょうだ)」「良心が痛む。俺は武士だから」と言い放ちます。玄蕃の言う武士の良心とは?

玄蕃には出自の真相があって、武士の存在自体が理不尽であり、己が武士であることを罪だと思っていた。武士道というわけのわからぬ道徳を掲げ、家門を重んじ、体面を貴び、万民の生殺与奪をほしいままにする武士そのものを懐疑していた。その間違った世の中の常識によって自分が罰せられる、あるいは自裁するのは納得できない。それこそ義に反する、彼自身の正義に反することだった。

──幕末には彼のような考えを持つ武士も実際いたのでしょうか?

いや、いなかった。武士階級が消滅するなんて考えはまだなかったから。だから僕は150年後の現代人の感覚で書きました。

玄蕃の決断は少なくとも仏教的モラルじゃない。自分を陥れた武士を彼は許すわけで、これはキリスト教的なモラル。その寛容さは仏教や儒教ではちょっとありえない。仏教的モラルは仏様の立場から衆生を哀れみ、慈しむのが基本。これは上の側から下の側に施すって意味だから、階級社会でしか存在しない。

それが江戸時代以降に仏教が説得力を失った理由でもある。公平な世で階級社会を否定している僕らには、仏教的な慈悲よりキリスト教的隣人愛のほうがわかりやすい。そういう意味で玄蕃は、僕ら現代人の西洋主義が投影された人物像だ。

偉大な人間はつねに真理を追究している

──浅田さんがいちばん描きたかったことは何ですか。玄蕃という人間の生き方に込めた思いとは?

時代とともに格好いい男がいなくなった、というのはありますね。男・女でどうこう言う時代じゃないけれども、やっぱり男はかくあるべし、っていう1つのヒーロー像は描きたかった。格好いい男性像。自分で決められる男。

『流人道中記』(書影をクリックするとアマゾンのサイトへジャンプします)

ともに旅した乙次郎は、玄蕃を引き渡す瞬間、道中での数々の事件、すれ違った武士たちすべてに思いをはせたはず。家格や位でがんじがらめの武家社会という枠の中で、皆、懸命に生きる人たちだった。その枠を玄蕃はぶち破った。乙次郎はその生きざまに貴重な教訓を得たんだろう。取り乱す気持ちを抑え、最後は無言できびすを返す。

僕が思うに、偉大な人間は「本当はどうなんだ?」っていう真理をつねに探究している。そのときの制度、環境の中でみんな動いてるけど、本当はどうなんだ?と考えられるのが大人物ではないか。玄蕃はその1人といえると思う。

──時代小説は感覚が古いとか文章が難しいとか、若い世代はとくに敬遠しがちです。そんな偏見を捨てて、若い人にこの物語から感じてほしいことはありますか。

時代小説がどうのこうのは、僕はあえて申しません。昔の武士の姿から何かを学ぶとか何とか、深く考えなくていい。エンターテインメントですから。面白く読んでもらうのが一番。面白くなければ値打ちはないでしょ? 読んでつまらなかったら本を読まなくなる人も増える。最初にまずいものを食べて以後嫌いになるのと同じ。でもそれは運が悪かっただけ。僕は自分の小説を書いてて自分がいちばん面白がってる。読者の方も一緒に楽しんでいただきたい。とにかく面白く読んでください。

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1174974 0 東洋経済オンライン 2020/04/23 09:34:34 2020/04/23 09:34:34

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