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海なし県でも山梨が「マグロ」消費額2位のナゾ

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すしの消費額4位、マグロの消費額は2位の山梨県。なぜ山梨県民はすしやマグロが好きなのでしょうか?(写真:JOB DESIGN /PIXTA)

2021年、「初詣もオンラインで」という歴史的な1年が始まった。歴史好きの方はご存じかと思うが、今年は「風林火山」の軍旗で知られる戦国時代の名将・武田信玄(1521年11月3日生まれ)の生誕500年に当たる年である。

信玄が治めた甲斐の国・山梨県では昨年5月に「信玄公生誕500年記念事業実行員会」が立ち上げられ、同12月には生誕500周年ロゴマークも決まった。県内のゆかりの地ではさまざまな記念イベントが開催される。

甲斐の国にはさまざまな1位がある

その山梨県に注目したい。筆者は『驚きの日本一が「ふるさと」にあった』の中で、山梨県について「ぶどうからロボットまで。武田信玄を生んだ甲斐の国が誇るトップブランドの数々」と紹介した。改めて山梨の主な日本一を列挙してみよう(出典は山梨県の公式HP)。

※ 富士山:標高3776メートル
※ぶどう収穫量:3万6900トン(全国シェア21.4%)
※もも収穫量:3万700トン(同28.5%)
※ミネラルウォーター出荷額:717億1700万円(同38.8%)
※貴金属製装身具製造事業所数:79(全国192)
※数値制御ロボット出荷額:2791億3600万円(全国シェア74.8%)
※日本ワイン生産量:5189キロリットル(同31.2%)
※日照時間(年間):2391.3時間(2位は群馬県の2381.3時間)

まだまだあるが、果物からロボットまで多彩な顔を持った県である。意外な日本一もある。「すし店の数」(人口1000人当たり)である。山梨県は0.303(事業所)で、0.299の石川県を押さえて堂々のトップとなっているのだ(平成26年経済センサス)。海なし県の山梨県になぜこうもすし店が多いのか。その謎を探ってみたい。

 山梨県とすし店の関係に入る前に、関連データをご覧いただきたい。

※マグロ消費金額2位(年間=甲府市):9040円(1位は静岡市の1万2305円)
※アサリ消費金額2位(年間=甲府市):1055円(1位は静岡市の1135円)
※すし(外食)消費金額 4位(年間=甲府市):1万9900円(1位は金沢市の2万3387円)

これらは総務省家計調査(2人以上の世帯)の2017~2019年平均の数値で、政令市と都道府県庁所在地を対象としたものである。すしの外食の全国平均は1万4885円だから、約5000円も上回っている。

いかに山梨の人たちが「すし」と「マグロ」を愛しているかを如実に物語っている。江戸時代から「マグロはごちそうとしてハレの日の食卓に上がり、現在まで山梨県のごちそうとして不動の地位を守り抜いています」(甲州市のHP)という土地柄なのである。

ホテルでもマグロのお刺身が出てくる(写真:筆者撮影)

筆者は昨年12月、湯村温泉(甲府市)の老舗ホテルで、マグロのおもてなし文化を実感した。食前酒、前菜、先附のあとにホテル名物の本生まぐろがお目見えした。造りは中トロ3切れと大トロの炙り2切れ、そして中トロの握りが2貫。

甘く、口の中でとろけていく絶品のマグロだった。献立表によると「長崎五島列島で水揚げしてすぐに空輸した鮪です」とある。

力の入れ方が半端ではない。

江戸時代からすし・マグロ文化が広がる

海なし県の山梨県にすし文化、マグロ消費が広まったのは江戸時代からである。武田氏滅亡後、16世紀後半に甲府城ができ、その城下町には魚町と呼ばれる一画があった。

『甲府市史研究 第9号』に掲載されている論文によると、貞享3年(1686年)には、魚町三丁目伊右衛門ら5人の「肴問屋」の名前が記載されている。江戸時代後期に書かれた文献には「鮪 壱本ニ付 代拾貫文」といった記述もある。江戸時代において、魚町で魚を扱う店で駿河・沼津から運んできたマグロが売られていたことがわかる。

甲府の城下町ですし文化を広めたのは「甲府勤番」の存在だと言われている。享保9年(1724年)に幕府直轄領となった甲府に、江戸から約200人の勤番士(城の警備などに当たる職務)が赴任した。

江戸で活躍できなかった次男や三男が多かったという。そんな彼らが勤番士として赴任した甲府の町で、江戸で食べていたすしを食べたいということで、駿河から馬の背に載せてマグロが盛んに運ばれるようになり、すし文化が広まったという。

とはいえ、今みたいに高速の流通手段、冷蔵・冷凍技術が発達していなかった江戸時代において、海産物の内地への輸送手段は、馬の背に荷を載せて陸路を行くか、川をさかのぼっていく舟運のどちらかだった。

ただし舟運は富士川が急流のため時間がかかることから、干物類や加工品はあったが、生魚の運搬はもっぱら陸運だった。ルートは沼津にほど近い吉原(静岡県富士市)を出て富士山の西麓を通って甲府に至る中道往還や、沼津から御殿場を通り、御坂峠を越える鎌倉往還などである。

当時の運搬について『甲斐廼手振』(嘉永3年=1850年)の中に興味深い記述が紹介されている。


<魚類はすべて駿河沼津より三坂峠(※御坂峠のことか)を越え黒駒道運送、行程二十里>

<秋冬春は替らず、なかんずく鯛多く、江戸よりは価至って下直なり。夏向きは塩物多し。其内塩まぐろ、煮貝、塩貝はいずれも駄荷にて来る>(※馬に荷を追わせて運んだ)

甲府は四季を通じて生魚を持ち込める限界である「魚尻点」にあたっていた。沼津からは一晩で海産物を運べたという。

慶応2年(1866年)の『甲州道中記』には、こんな記述もある。

<駿州沼津にて漁をなす肴を甲州へ送る道のり二拾里余なり。沼津より半日一夜にて馬にて送るなり。肴荷五十疋百疋と馬に肴を付て来る、馬方は多く女なり、富士の横手籠坂峠を越え来る、(略)道にて狼出る時馬恐れて人間の袖の処へ馬顔を付るなり、其時から鉄砲をはなって通る、富士郡籠坂峠は大の難所のよし承り候>

生魚を運搬する馬を引いていた多くは女性

生魚を運搬する馬を引いていた多くが女性だったという事実にはビックリだ。しかも狼が多く、鉄砲で追い払っていたとは。まさに命がけである。明治になると中道往還を利用して、その日獲れた魚を馬に背負わせて午後4時に吉原を出て、翌朝7時ごろには甲府の魚問屋に荷をおろす、といった文献の記述もある。

マグロに関しては駿河湾でのマグロ漁を描いた1枚の絵が有名だ。『天保三年伊豆紀行画帖』の中の「長浜村漁猟場の景」(木村喜繁:1832年)である。

駿河湾で船と網でマグロの群れを浜に追い込み、漁師が手鉤でマグロを引っ掛けている漁の様子を描いたもので、残された記録には<此処へは江戸ならびに駿府甲州より魚商ふもの参り居て……>と、甲州の魚商人も買い付けに訪れている様子が記述されている。

沼津から一晩かけて苦労して運んだマグロなどの生魚だが、冷蔵・冷凍技術もない時代だけに、いくら魚尻点とはいえ、どうしても鮮度は落ちてしまう。そこにすし文化が広まるポイントがあった。

すしを所望する江戸から赴任した勤番士の存在と、鮮度が落ちるマグロや他の魚の調理法。その2つの要因が相まって、すし職人の技術で魚を酢で締めたり、漬けにしたりして独自のすし文化が形作られていったという。

生のネタではなく、締めたり、漬けにしたり、ひと仕事加えたネタですしを握っていたのである。

山梨ですしが広まったもう1つの背景に「無尽」の存在がある。無尽とはこの地に古くからある慣習で、古くは相互扶助の民間金融制度だったが、今では気の合う仲間との会食や旅行などのコミュニケーション手段となっている。ハレの日にみんなが集まる場としてすし店の座敷が利用され、会食にマグロやすしが提供され、座敷付きのすし店が増えていった。

あの信玄がマグロを食べた可能性は?

武田神社(写真:筆者撮影)

山梨ですし文化が広まったキーワードは「魚尻点」と「無尽」、そして「勤番士」だった。海なし県の独自の食文化の背景を検証したが、最後に大きな疑問が残った。京の都に憧れ、また海にも憧れていたと言われる武田信玄は、果たしてマグロを食べたのかどうか?

マグロや生魚の運搬に関する文献の記述、勤番士の登場した時代などからすると、甲府でのすし文化、マグロ文化の広がりは江戸時代後半以降と思われる。

山梨名物の煮貝(アワビを醤油ベースの煮汁で煮浸しにした加工品)にしても、文献に出てくるのは江戸時代後半。つまり、信玄は煮貝もマグロも食べていなかった可能性が高い。

しかし、断言はできない。1つ、気になる論文を見つけた。植月学氏と宮澤富美恵氏の共著『甲州における幕末・明治期の海産物消費動向』だ。

これは江戸時代末期から明治期にかけて大久保黄斎という医者が書き残した『世事記』(今でいう家計簿的な記録)を分析した実に興味深い論文で、その中に、植月氏が15世紀の勝沼氏館跡(甲州市)において小型マグロ類、スマなどの出土を報告したことがある、という記述があるのだ。つまり、信玄が生まれる前の時代に小型マグロ類が甲府近辺に運ばれていた可能性があるということだ。

それならば、信玄がマグロを口にしていた可能性はゼロではないかもしれない。3月13日から『生誕500年 武田信玄の生涯』という特別展を開催予定の山梨県立博物館の学芸員の方に“信玄のマグロ食”について確認してみた。

信玄の食卓についてはナゾが多い

「文献上の記録はありません。(当時の本膳などの様子が記述されている)『甲陽軍鑑』の御献立之次第も武田家とは関係ないとされています。信玄の食卓についてはわかっていないことが多い。ただし、江戸後期に海産物の運搬に使われた中道往還は中世にも存在していましたから、状況証拠からすると、海への憧れがあったと言われる信玄がマグロを食べた可能性をゼロと決め付けることはできないと思います」

500年前に信玄公がマグロをおいしそうに食べている光景を想像するのは実に愉快ではないか。海なし県のすし・まぐろ文化は、時空を超えた歴史のロマンをかきたてる。そうだ、コロナ禍が一段落したら、山梨へ行こう!

【参考文献】

「甲府市史研究 第9号」甲府市市史編さん委員会
「甲州における幕末・明治期の海産物消費動向」 植月学・宮澤富美恵

無断転載・複製を禁じます
1747999 0 東洋経済オンライン 2021/01/07 10:13:33 2021/01/07 10:13:33

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