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スキージャンプやスピードスケート、スノーボード、カーリングなど日本選手の大活躍にも沸いた、今年2月の北京冬季五輪(第24回オリンピック冬季競技大会)──。
だが、同大会終了直後の3月1日、これまで五輪選手や五輪メダリストを多く輩出してきた「日本電産サンキョースケート部」が3月31日限りで廃部することを発表した。
北京五輪では、スピードスケート女子団体追い抜きで銀メダルを獲得した髙木菜那選手も所属し、前身の「三協精機スケート部」の創部は1957年。65年間の歴史を持つ名門だ。
後述する、実業団スポーツ全盛期では想像できなかったが、これも時代の流れか。第一線で活躍できる期間が短い、アスリートの置かれた立場を考えさせられるニュースだった。
そんななか、興味深い情報を耳にした。ハンバーガーチェーン「モスバーガー」を運営する業界大手のモスフードサービスが、引退後のアスリート支援に乗り出したのだ。
同社がコーチやチームスタッフとして招聘する話ではない。どんな狙いがあるのか。関係者に取材しながら、長年指摘される「競技引退後の人生」を考えた。
プロアスリート出身者を「加盟店オーナー」に
今回、モスフードサービスが掲げたのは「アスリート経営者 育成プロジェクト」だ。

「モスバーガーの1号店がオープンしたのは1972年です。半世紀を経て加盟店オーナーも高齢化し、以前から世代交代を進めてきましたが、まだ平均年齢は58.1歳。今回、新しい加盟店オーナー募集の一環として、アスリートのセカンドキャリアに注目したのです」
同社の笠井洸さん(執行役員 経営企画本部長)はこう説明する。発案者は誰だったのか?
「当社の太田恒有(取締役上席執行役員 営業本部長)です。太田は有名なプロ指導者とも交流があります。本人は、かつてボクシングのプロライセンスを保有し、引退後のアスリートの進路にも関心を持っていました。また、当社の経営理念は『人間貢献・社会貢献』なので、加盟店オーナーの課題解決、そして企業方針の双方にも沿うと考えたのです」(同)
アスリートのキャリア支援などを行うHERO MAKERS.社長の高森勇旗さんの協力も経た。高森さんは2007年から2012年までNPB(日本プロ野球)横浜ベイスターズ(現DeNA)でプレーした元プロ野球選手。引退後の2016年に起業し、会社を経営している。
これまでの経緯を整理すると、取締役の太田さんが起案し、笠井さんが本部長を務める経営企画本部と営業本部が担当、太田さんとも旧知の高森さんの会社が協力──という図式だ。
現在「モスバーガー」の国内店舗数は「1254店」(加盟店1213店、直営店41店。2022年2月末現在)。内訳のうち、関連会社が運営する店が約200店あるので、8割以上が純粋な加盟店だ。モスバーガーの成長は、全国各地の加盟店が支えてきた。
特典も設け、独立までのハードルを低くした
「候補者はHERO MAKERS.からの紹介のほか、一般からも公募します。ただし、厳しい状況に身を置いた『プロ契約』経験者を求めています。独立・開業を前提に契約社員として入社いただき、最短1年をメドに加盟店オーナーとしてのノウハウをお伝えします」

プロジェクトの実務を担う齊藤雅久さん(営業企画部 営業サポートグループリーダー)は、採用から入社後の流れをこう話す。齊藤さんは高校時代、野球部と柔道部に所属。同社入社後は立地調査部やマーケティング部に従事し、加盟店オーナーの実態にもくわしい。
今回の独立時には、加盟金の減額や開業資金補助などの特典も設けた。
入社後は、㈱モスストアカンパニー(店舗運営子会社)に出向し、店舗で経験を積みながら各種の研修も受講。店舗経営者に必要な資質を学んでいく。
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「最短1年をメドに加盟店オーナーとして育成」と言い切るのには、先例もあった。
4年前の2018年4月、同社は「サンライズシステム」という独立希望者向けの採用・教育制度を導入した。それ以前から社員独立制度もあり、「この7~8年で本部社員が独立する事例も増えました」(齊藤さん)。いずれも制度の内容は今回と似ており、「アスリート経営者 育成プロジェクト」は、こうした先例をアレンジしたといえよう。

少し引いた視点で「ハンバーガー」を取り巻く環境も考えたい。
コロナ禍で外食産業が不振なのはご存じのとおりだが、ハンバーガー業界は総じて好調だ。「もともとテイクアウトが人気で、デリバリーにも向く」「郊外型店も多く、通勤減の影響が少なかった」などが指摘される。外食異業種からの参入も目立ち、筆者も昨年、レストランチェーンや居酒屋チェーンの新規開業ハンバーガー店を、それぞれ取材した。

「外食産業が不振」と記したが、テイクアウトやデリバリーで注文されるケースも多いハンバーガーは、自宅で食べる「内食」にも対応できる。在宅勤務が定着した2020年以降、「平日の昼食にハンバーガーを食べるケースが増えた」という調査データもある。
一方、モスバーガーの店舗数は前述のとおりで、最大手「マクドナルド」の半分以下だが、全国47都道府県に出店しており、「今後は再び新規出店を強化する方針」と聞く。
24歳で戦力外通告、今では経営コンサルタント
一足先に「競技引退後の人生」を歩む高森さんの横顔も紹介したい。岐阜県・中京高校から2006年の高校生ドラフト4巡目で横浜ベイスターズ(当時)に入団。2009年にはイースタン・リーグ最多安打を記録したが、一軍では活躍できなかった。
「2012年、横浜DeNAベイスターズから戦力外通告を受けました。野球はやり切ったと感じ、自分は何でもできると思いました。でも何をやるかは決めていなかった」(同)

縁あって始めたのが、試合の配球を分析するデータアナリストだ。現役時代から、自分が受けた取材がどんな記事になるかに興味を持っており、スポーツライター業も開始。東洋経済オンラインでは「24歳でプロ野球をクビになった男が見た真実」(2014年12月26日配信)という大ヒット記事を放った。イベントディレクターやコピーライターも行い、2016年に起業した。
「現在は経営コンサルタントが中心です。元プロ野球選手との交流も続き、巨人の球団職員からアクセンチュアに行き、自ら起業した柴田章吾さんはその1人です」
昔の「プロ野球選手引退後の人生」を知る世代にとって、高森さんや柴田さんの事例は、時代が変わったと思うかもしれない。
実業団スポーツ全盛期は「社員選手」が中心
かつて「実業団スポーツ」全盛期には、各企業はとくにアマチュア野球、バレーボール、陸上(マラソンや駅伝)などの選手を多く抱えた。これらはメディア報道も多い人気種目で、大会で活躍する選手の応援などで職場も盛り上がり、社内の一体感が醸成できた。
当時は社員選手が中心で、引退後は社業に従事したり、チームのコーチやスタッフで残ったりする例も多かった。長年の歴史を持つ老舗企業ほどチームの維持に尽力した。
それが一部の競技はプロ化に踏み切り、多くの競技チームで、企業と選手との関係は昔に比べてドライになった。冒頭で紹介したように廃部に踏み切るケースも目立つのだ。
プロアスリートの場合、例えばプロ野球選手は、昔から引退後に飲食店を始めるケースが多かった。焼肉店やラーメン店などだが、繁盛店になった例は少ない。
近年は選手側の意識も変わってきた。NPBが2020年「第17回みやざきフェニックス・リーグ」に参加したプロ野球12球団の選手に「引退後のセカンドキャリア」に関するアンケートを実施したことがある(有効回答数233人)。
それによれば「引退後の生活に不安を感じている」選手は49.8%。「引退後どのような仕事をしてみたいか」では、「会社経営者16.3%」「高校野球の指導者15.5%」の順だった。
このように実業団では選手を取り巻く環境の変化が激しく、プロ野球選手への調査では、引退後に会社経営に興味を持つ選手が多くなっている。
47都道府県、希望する土地で働くことも可能
今回の「アスリート経営者 育成プロジェクト」の魅力はどこにあるのか。
「『モスバーガーが好き』『地元に貢献したい』が前提条件になりますが、全国47都道府県に店舗があるのは強みです。また、アスリート出身のオーナーが増えれば、既存のオーナー会にも、いい意味で刺激となる。長年地域で活動する加盟店オーナーの中には、地元の名士となった人もいるので、違う舞台で自分を輝かせることも可能です」(笠井さん)
「例えば九州で生まれ育った選手が、横浜のチームに入団し、そこで生活してきた場合を考えると、現役引退時には家族もいて、子どもの教育の関係などで帰郷できないかもしれません。モスバーガーの加盟店オーナーになれば、ずっと横浜で働けるのです」(高森さん)
「モスバーガーの店舗数は現在、東京・愛知・神奈川・大阪(神奈川と同数)・福岡・埼玉の順に多いのですが、総じていえば西日本のほうが販売促進にも意欲的です。アスリート出身の加盟店オーナーには、これまでにない新たな発想も期待しています」(齊藤さん)
競技者に対して「引退後の人生のほうが長い」と、よく言われるが、引退後の転身は、見方を変えれば「働き方改革」だ。第一線で活躍する会社員も、この意識で転身する例が増えた。
3月から4月は、新天地に進む人が多い時期だ。モスの取り組みが成功すれば、「人生のステージを変える」1つの象徴になるかもしれない。
