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    戦力分析

    【箱根駅伝出場21チーム紹介〈14〉】帝京大・畔上、実業団ウォーキングで2区キング

    • 箱根駅伝での活躍を誓う帝京大・畔上和弥(カメラ・頓所 美代子)(スポーツ報知)
      箱根駅伝での活躍を誓う帝京大・畔上和弥(カメラ・頓所 美代子)(スポーツ報知)
    • 練習する畔上(前列左)と佐藤(同右)ら帝京大の選手たち(スポーツ報知)
      練習する畔上(前列左)と佐藤(同右)ら帝京大の選手たち(スポーツ報知)

     ◆帝京大 前回11位(11年連続19回目)=出雲不出場、全日本8位=

     畔上和弥(3年)は予選会で日本人トップ(7位)の59分30秒をマークし、チーム内でも最高、歴代5位の好タイムで帝京大を1位通過に導いた。今春、実業団チームの合宿に参加して競技に取り組む姿勢を学び、ウォーキングの重要性から見直した。入学時は「クロスカントリー中学日本一」という異色の経歴で注目されたが、ランナーとして着実に成長。2区で他校のエースとしのぎを削る。

     堅実なチームカラーで「エース不在」と評される場合が多い帝京大。畔上は予選会で日本人トップになり、持ち味のラスト5キロは外国人留学生よりも速かった。エースには十分な成績だが「まだエースになりきれていない。今回の2区の結果が大事」と謙虚だ。

     新潟・妙高高原中では、スキーのクロスカントリーで日本一になった異色の経歴を持つ。雪上で鍛えた足腰を武器に「箱根を走りたい」と陸上転向を決意。前々回3区、前回4区と夢をかなえた。すると、今度は「目立つ結果を出したい欲」が生まれた。

     3年生になり、更に上の世界を知った。春に新潟の同郷、服部勇馬が所属するトヨタ自動車の合宿に参加。初めて見る世界では、選手が競技だけに向き合って生活し、走っている時だけでなく、朝からしっかり腕を振り、キビキビとウォーキングをしていた。「自分はダラダラ歩くだけだった。全然違う」。走るだけでなく、日常の全てが走りにつながると気付き、さっそく取り入れた。

     意識の高い環境に身を置いた経験を経て、練習への取り組みを変えた。体の状態に耳を傾け、自分で練習量を調節した。メニューをこなすのに精いっぱいで疲労を残し、レースで失敗するような悪循環がなくなった。中野孝行監督(54)は「上を見始めた。自分をよく知っている」と目を細める。

     2区では同い年で1万メートル日本学生歴代4位の記録を持ち「雲の上の存在」と目を見張る塩尻(順大)とも競うことになる。「背伸びしないレースで1時間9分を切る」のが目標。控えめな言葉に野心を隠し、帝京大エースの力を証明する。

    ◆戦力分析

     選手がチーム目標に掲げた「総合3位」に、中野監督は「覚悟を感じる」とうなずく。前回は4区まで4位と上位争いを繰り広げたが、最終的に東海大と2分36秒差の11位でシード権を落とした。

     ただ、出場した1、2年生の6人全員が区間1ケタ順位と好走。得られた経験は大きい。今回の予選会ではチーム史上最速をマークしてトップ通過。全日本大学駅伝でも過去最高の8位となり、さらに自信をつけて好調を維持している。

     1区は前回7位と好走した竹下が名乗り。「前回は最後の1キロで離されてしまった。粘り切れる意識をもって練習してきた」と雪辱を期す。2区濃厚な畔上にいい位置で渡して勢いがつけば、目標に大きく近付く。

     ◆畔上 和弥(あぜがみ・かずや)1996年11月14日、新潟・妙高高原町(現妙高市)生まれ。21歳。妙高高原中でスキー部に所属し、2年時に全国大会のクロスカントリーでは団体のリレー種目で優勝。3年時は個人5キロフリー5位。関根学園高入学と同時に本格的に陸上を始め、3年時に全国高校駅伝1区33位、全国都道府県対抗駅伝1区25位。171センチ、55キロ。家族は祖父母、両親、妹。

     ◆帝京大 陸上部は1979年創部。99年に駅伝競走部として独立した。箱根駅伝は98年に初出場。総合の最高成績は2000、13年の4位。往路最高3位、復路最高3位。出雲駅伝は00年の7位、全日本大学駅伝は今季の8位が最高。タスキは銀に赤の縁取り。部員は60人。ラグビー部は全国大学選手権で8連覇中の強豪。主なOGはシドニー、アテネ五輪柔道女子48キロ級金メダルの谷亮子(前参院議員)ら。

    (スポーツ報知)

    2017年12月23日 12時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun