往年のスピードスターと共に夢見る箱根駅伝…伝統校・立教大

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 第97回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝=読売新聞社共催、来年1月)の予選会が10月17日、東京都立川市で開かれる。立教大は、半世紀以上遠ざかってきた箱根路を夢見て、練習拠点の埼玉県新座市で奮闘している。

早朝練習の開始前に選手たちと話す上野監督(右から2人目)(8月26日、長野県上田市で)
早朝練習の開始前に選手たちと話す上野監督(右から2人目)(8月26日、長野県上田市で)

OBの熱意 1957年に総合3位

 2018年11月。立教大は、「立教箱根駅伝2024」プロジェクトを始めた。大学創立150周年となる2024年の箱根駅伝出場を目指す。簡単な目標ではないが、その裏にはオール立教で陸上部男子駅伝チームをサポートする、「伝統校」立教大陸上部OBらの並々ならぬ熱意があった。

 「箱根駅伝」(当初は四大校駅伝競走)が始まった1920年(大正9年)、立教大陸上部男子駅伝チームも産声を上げた。初めて本大会に出場したのは34年で、最高成績は57年の総合3位。通算27回の出場を誇るが、68年を最後に箱根路から50年以上遠ざかっている。

 古豪復活を目指す指揮官として白羽の矢が立ったのが、佐久長聖高(長野)や中央大などで活躍した上野裕一郎監督(35)だった。

 上野監督は長野県佐久市出身。中学生の頃は野球部だったが、陸上部に転じて佐久長聖高に入学。両角速監督(現東海大監督)の指導を受け、全国都道府県対抗男子駅伝で長野県の初優勝に貢献した。

 進学先の中央大では、箱根駅伝に4年連続で出場して3年時に3区の区間賞を獲得。卒業後はエスビー食品に入社し、トラック種目を中心にプロの選手として活躍した。

上野裕一郎監督の「広い視野」に白羽の矢

 「立教大に来たのは偶然が重なった」と、上野監督は振り返る。エスビー食品退社後、DeNAの選手時代に立教大の関係者と同じマンションに住み、ランニングコースが同じで意気投合した。

 当時の男子駅伝チームは監督が不在で、大学側は外部から「広い視野で選手を育てることができる」指導者を招きたい事情があった。

 上野監督も、中高大と指導者に恵まれたことで、陸上選手として大成したという思いがあり、指導者にはずっと憧れがあった。まだ選手として五輪を目指す気持ちはあったが、大学から「うちの陸上部を鍛え直してくれませんか」と要請され、それならと快諾した。

真新しい選手寮、チームワーク強化へ

 2018年12月から指導を始め、「全体的な練習量が少ない」ことが課題と感じている。選手に目標を立てさせると同時に、現役時代に「スピードスター」の異名を持った自分が選手たちを引っ張ろうとしている。

 創部100周年の今年3月、練習拠点がある新座キャンパスの隣に地上2階建ての選手寮が建設された。選手たちは実家などから通学し、朝練習は各自に任されていたが、入寮後はチーム全員で朝練習を行う。マネジャーを含む部員約40人が一つ屋根の下で暮らすことで、チームワークの強化にもつながっている。

 選手たちが競技に専念して、良い結果を出してほしい――。新しい環境には、陸上部OBのそうした思いも込められている。19年の予選会は23位と、前年より順位を五つ上げた。半世紀ぶりの箱根路に向けて、選手たちは必死に走り続ける。

早朝、集団で走る立教大の選手たち(8月26日、長野県上田市で)
早朝、集団で走る立教大の選手たち(8月26日、長野県上田市で)

一緒に入浴、食事で談笑…心を開く選手たち

 長野県上田市の菅平高原で8月26日早朝、集団走を行う立教大陸上部男子駅伝チームの姿があった。田んぼが広がる約13キロの平らなコースを、列を乱さないように同じピッチで走る。「1キロ4分で来てる。いいペースだよ」。上野裕一郎監督(35)の言葉に押されるように、選手たちは黙々と走り続けた。

 2018年秋、男子駅伝チームに思わぬ通告があった。「24年の箱根駅伝出場を目指して男子駅伝チームを強化するため、プロ選手の上野氏が監督に就任する」――。選手たちに動揺が広がった。

 男子駅伝チームはそれまで、OBがボランティアとして監督やコーチを務め、常勤の監督がいなかった。4年生が作った練習メニューに取り組み、自分たちで工夫して練習する姿勢が立教大の伝統と自負していた。

 監督の就任によって「立教大の良い雰囲気が壊されてしまう」と不安を感じる選手も多く、当時2年生だった増井大介主将(4年)は、「皆が男子駅伝チームの強化に前向きだったわけではない」と振り返る。

 選手たちの不安をよそに、上野監督はすぐに選手たちと打ち解けていった。

 悩みを抱える選手にはすぐに声をかけ、合宿所では一緒に風呂に入り、食事の際はざっくばらんに談笑する。練習や生活面の指導は厳しいものの、「同じ目線で考え、寄り添ってくれる監督」に対して、選手たちも徐々に心を開いていった。

個々の底上げ、練習の意識改革急ぐ

 「俺を超える選手が10人いれば、箱根駅伝でシードが取れる」――。上野監督も選手たちを鼓舞しているが、それは本大会に出場する実力がまだ不十分なことの裏返しでもあった。

 昨年の夏合宿では、あらかじめ設定されたタイム内で3000メートルを5本走るメニューについて、ほとんどの選手が達成できなかった。けがを抱える選手も自主練習と言いながら、ストレッチをしているだけということがあった。

 箱根駅伝の常連校には、国際大会を見据えてハードな練習を続ける選手も多い。一方、立教大の選手たちは自主性をうたいながらも、今の実力でこなせるメニューで練習していた。上野監督は選手たちの練習に対する意識が低いことに危機感を抱き、一人一人の力を底上げすることが急務と考えた。

 上野監督は、できる限り選手たちと同じ練習メニューをこなし、体を張って指導している。スピード練習で上野監督に追いつける選手はまだ少ないが、「いつかは超えたい存在」(増井主将)と、選手たちの目の色も変わりつつある。

 上野監督が就任して約2年。チームの絆は深まり、夢に向かって着実に進んでいる。

(9月24日、25日の埼玉県版紙面に掲載された記事です)

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1525396 0 読み物 2020/10/06 11:00:00 2020/10/09 09:16:57 2020/10/09 09:16:57 早朝、集団で走る立教大選手たち(8月26日午前6時10分、長野県上田市で)=岡田実優撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/10/20201005-OYT8I50045-T.jpg?type=thumbnail

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