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箱根駅伝予選会は雪辱レース、地元の期待背負って臨む…新興勢力・城西大

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 第97回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝=読売新聞社共催、来年1月)の予選会が10月17日、東京都立川市で開かれる。思わぬ大敗で本大会出場を逃した昨年の予選会からの雪辱を期する城西大(練習拠点=埼玉県坂戸市)は、必死の走り込みを積んできた。(吉見光次)

学生と一緒に、朝練習でトラックを走る櫛部監督(右)(北海道紋別市で)
学生と一緒に、朝練習でトラックを走る櫛部監督(右)(北海道紋別市で)

「天国と地獄」を知る指揮官・櫛部静二監督

 城西大男子駅伝部は、2001年に創部された。大正時代の1920年に始まった箱根駅伝の歴史でみると、新興勢力の1校に位置づけられるが、既に総合6位を2度記録している。創部時にコーチとして招かれた櫛部静二・現監督(48)の経験と科学的な知見に基づいた指導により、短期間で急成長した大学だ。

 北海道東部のオホーツク海に面する紋別市。8月でも早朝はセーターが必要なほど寒いこの土地で、城西大の夏合宿は行われる。市内の陸上競技場で午前6時過ぎ、20歳前後の選手たちに交じって走る櫛部監督の姿があった。

 「(立ち止まって)見ているだけの指導は、つまらないからね」。涼しげに笑い、同じペースで走り続ける姿は、選手より年齢が二回りも上だとは全く感じさせない。

 山口県の宇部鴻城高時代に障害レースの高校新記録を樹立するなど、同世代では屈指のスピードを誇った。マラソンの元五輪選手でもある早稲田大OB、瀬古利彦さん(64)に誘われて早大へ進学。箱根駅伝では1年の時に食中毒が原因で大ブレーキを招いたが、3年時は1区で区間新をマークして総合優勝に貢献するなど、「天国と地獄」の両方を味わった。

 卒業後もエスビー食品で選手を続けたが、20歳代後半に指導者を志すようになった。退社後は日本体育大大学院でトレーニングのノウハウを学びながら、城西大駅伝部創部に際して平塚潤・前監督(51)に誘われてコーチに就任。この間も競技者としてマラソン出場などを続け、「一時は『三足のわらじ』とも言われました」(櫛部監督)と振り返る。

オホーツク海に面した白樺並木の脇を走る、城西大の選手(8月21日、北海道紋別市で)
オホーツク海に面した白樺並木の脇を走る、城西大の選手(8月21日、北海道紋別市で)

科学的指導、リオ五輪走者ら輩出

 指導方法を研究するにつれて、「これまでの長距離界は指導者の感覚的な教え方が中心だった」と気づいた。科学的なトレーニングの採用を思いつき、2009年の監督就任後、大学に依頼して「常圧低酸素室」を新設してもらった。

 酸素濃度の低い環境で走り、心肺機能を鍛えることで高地トレーニングと同じ効果をもたらす。後に1万メートルなどのリオデジャネイロ五輪代表となる村山紘太選手(27)(旭化成)らがこの設備で成長を遂げ、駅伝部全体の底上げにもつながった。

 日本人で初めて五輪マラソンに出場し、「日本マラソンの父」と呼ばれる金栗かなくり四三しそうは「世界に通用するランナーを育成したい」との思いで箱根駅伝の創設に尽力した。自らも指導者として日本代表選手の育成を目指す一方、「箱根はそのための『手段』ではあるが、競技者としての『ゴール』ではない」との信念を持つ。

 科学的に選手の成長を研究していくと、大学生のうちにトラック競技のスピードを高め、その後マラソンに移行した方が良い成果が出るとわかった。箱根駅伝が世間の注目を集めているからこそ、「日の丸を付けて走る選手を育てる」という原点を指導の根幹に置き、今日も選手と走り続ける。

駅伝ランナーは少年少女の身近なスター

 城西大男子駅伝部の合宿所に近い、鶴ヶ島市立西中学校。約15年前、駅伝部は鶴ヶ島西中から校庭の使用許可を得た。部員は午前6時に校庭に集合して内外を1時間走る。グラウンド整備も終えて引き揚げる頃には、登校途中の生徒とすれ違い「おはようございます」とあいさつを交わす。新型コロナウイルスの感染が拡大するまで、駅伝部員の朝はそれが当たり前だった。

 鶴ヶ島西中陸上部顧問の堀川広恵教諭(53)によると、「箱根駅伝に出る選手は、中学生から見ればスターのような存在」だ。その走りは見本となり、「つらい練習も頑張れるようになっている」と効果を語る。実力の高い生徒が大学生の練習に参加したことにより、進学先の高校でタイムを伸ばしたケースがあるという。

 悪天候でも欠かさず練習を続ける大学生の姿に、中学校全体の「応援しよう」という気持ちも強くなる。校舎脇の道路沿いには、陸上部員が習字で書いた文字を並べて「城西大学駅伝部の先輩方! 箱根駅伝へ続くこの道を走り続けて下さい」などと応援メッセージがつづられている。

 コロナの影響で朝練の自粛期間が続いているが、堀川教諭は「選手は日々努力していると思う。予選突破に向けて頑張ってほしい」とエールを送る。

痛すぎる「箱根ロス」バネに練習

 地元の大きな期待を背負う学生にとって、痛恨だったのは15位と大敗した昨年10月の予選会だ。櫛部静二監督(48)は「前日に大雨が降った後、気温が急上昇した。暑さを苦手とする選手が多いことが、そのまま結果に出てしまった」と振り返る。

 11月に新チームの主将に指名された菊地駿弥選手(4年)も「箱根出場がなくなって、全体が冷めた雰囲気になった。どのように気持ちを上げていくかが大変だった」と打ち明ける。

 予選会で敗れた部員らには、本大会の補助員という役割が待っていた。城西大の担当は1区と10区。沿道で走路と観衆を仕切るロープを支えながら、「ここで走りたくて入学したのに」と悔しさがこみ上げてきた。屈辱を晴らしたいという思いがバネとなり、苦しい練習を頑張り続けている。

北海道合宿、毎日25キロ以上を走破

 コロナの影響で公式戦が中止となった時でも、菊地主将は前向きな言葉を選手たちに掛け続けてきた。春の練習不足も、北海道・紋別の夏合宿で毎日25キロ以上を走り込みながら、徐々に調子を取り戻してきた。今年正月の本大会で関東学生連合の一員に選ばれて出場し、3区を走ったエースの菅原伊織選手(4年)は、「長距離走の後半でも姿勢を保てるように体幹を鍛えてきた」と、合宿の手応えを語る。

 実力を発揮しきれなかった昨年の反省も込めて、今年の予選会は順位やタイムを設定せず「予選突破」だけを目標に掲げた。

 菊地主将は「走るのは12人だが、マネジャーも含めて一つのチーム。欲を出さずにいつも通りのことをして、『勝つべくして突破した』という走りを見せる」と自信をのぞかせる。

(10月3、4日の埼玉県版紙面に掲載された記事です)

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1529869 0 読み物 2020/10/08 11:00:00 2020/10/09 09:18:37 学生と一緒に、朝練習でトラックを走る櫛部監督(右)(北海道紋別市で) https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/10/20201005-OYT8I50049-T.jpg?type=thumbnail

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