箱根駅伝の「身を削る闘い」とは…山下りの6区を攻略せよ
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「山を制する者は箱根を制する」と言われる。厳しいのは、地面を一歩ずつ踏みしめて修行僧のような忍耐力で急坂を上る5区の山登りだけではない。そのコースを逆に高速で駆け下りていく6区は、平地では考えられないような体への負荷がかかる、まさに身を削る闘いだ。1年前の前回大会で山を下り、現在は社会人ランナーとして活躍する5人の箱根OBとスポーツドクターへの取材から、まだまだ知られざる「特殊区間」6区の攻略法を探った。(敬称略、編集委員・千葉直樹)

どんなフォームがいいのか

6区は、全長20・8キロ。まずは、芦ノ湖畔から約4・5キロを標高874メートルの最高点まで上る。そこから短いアップダウンを挟み、今度は一気に下る。17・8キロ地点の箱根湯本駅あたりからは、緩やかな下り坂が小田原中継所(標高約35メートル)まで約3キロ続くというコース設定だ。そもそも山下りの走り方とはどういうものなのか。
館沢亨次 脚を車輪のように回転させてすーっと走る。ストライドよりもピッチ走法で。一歩一歩にあまり体重をかけないほうが、ダメージは少ない。前に倒れる手前で脚が勝手に出るというイメージ。
今西駿介 着地でつま先とか、かかととかではなく、足裏全体をフラットにつける。そして体の重心を前傾させる。自分の場合、崖の斜面を下っているような感じだった。
坪井 慧 山に下らされているのではなく、自分で山を下る。下りでは体がのけぞりがちで、歩幅が小さくなるとタイムに影響する。「自分で下る」とは、しっかりと前に重心を保ち、次の脚を早めに置いて、次に次に、と自分が浮いているみたいな感覚がいい。
中村大成 脚をぐるぐる回すように、すぐに前にもってくるイメージ。疲れてくると重心が後ろにいき、ブレーキがかかる。

下り坂では、前傾姿勢で脚を早く回すことが大事なようだ。ハイスピードで「転げ落ちる」感覚になり、最初は恐怖感もあるという。こうした場合、人間の体にはどんな影響があるのだろうか。
整形外科専門医で、スポーツドクターの大関信武・東京医科歯科大学再生医療研究センター助教は、こう解説する。「着地の衝撃を吸収するためには、筋肉に力が入ったまま伸びる「
コース取り 急がば回れ?

箱根の下りは、左右にカーブする細い急坂が特徴で、タイムロスを防ぐためにもカーブでのコース取りが重要になる。最短のインコースを、スピードを落とさずに走れれば理想だ。滑る危険のある白線やマンホール、1か所だけある踏切の通過時などは注意が必要だ。
島貫温太 最短コースのインに入ることだけを意識した。カーブでは白線を踏まないギリギリのところを走っていた。
坪井 ちょっとのオーバーランで1秒2秒はすぐ変わる。
ただし、「インコース主義」にはリスクが伴うとの指摘もある。カーブ走行時には、脚への負担がさらに増すからだ。大関ドクターによれば、カーブの内側を通る足は、アーチがつぶれるような状態になりがちで、下腿の筋肉や、太ももの外側からひざ下につながる「
館沢 インコースを切るように曲がろうとすると、脚に負担がかかる。カーブの外側を使って、曲がって加速できるように。減速はせずに、ふわっと膨らんで加速、というイメージ。
今西 最短距離を走りすぎると脚への負担が大きくなる。スピードは落とさずに、なるべく外側を行って衝撃を抑える。
急がば少し回れ、が良いようだ。
下りよりも重要なポイントは

「下りの6区」と言われるが、今回、多くの選手が、6区のキーは下り坂の区間よりもほかの場所にある、と話した。最初の関門は、序盤の上りだ。前回大会で区間賞を塗り替えた館沢は、5キロ付近の芦之湯でスタート時に3分22秒あったトップの青山学院大との差を45秒も縮めた。
館沢 序盤は予定よりも(記録を確かめたら)30秒早く入っていた。「これ、後半の体力がもたないんじゃないかな」と(走行中に)ちょっと焦った。でもここまで来たら行くしかないと。6区全体で考えれば、下りだけでは大差はつかない。前半の上りでどれだけ攻められるかが重要。
今西 入りの4キロは力の8割を使うイメージ。全力を出し切るぐらいの気持ちで行くのがいい。上りで自重すると精神的に影響するので、最初を勢いよく行った方が流れに乗れる。
中村 最初の上りは、高速化した6区で最も差がつくポイント。全力で上ってくるイメージ。
そして、もう一つの重要なポイントは、終盤にあるという。
平坦なのに脚が動かない

急坂を下りきった箱根湯本駅あたりから小田原中継所までの残り3キロ。緩やかな下り道なのに、まるで上っているかのような感覚に襲われ、脚が止まって苦しむ選手も多いという。
坪井 最後の3キロは正直、上っているのかと思うくらいきつかった。気持ちは前にいっているけど、脚がガクガクで全然ついてこない。
中村 ハーフマラソンの後半はただでさえ脚が動かないが、10キロ下ってきたあのポイントでは筋肉疲労で脚が動かなかった。ウェートトレーニング後の感覚に似ていた。
今西 脚が前に出ている感覚がないので、もも上げをしているようなイメージ。無理やり脚を前に出す。中継所までずっと、脚の感覚が半分マヒしていて、ペースを上げる余裕はなかった。
似たような場所は、それ以前にもある。9キロの小涌園のカーブを曲がる手前の直線部と、12キロの宮ノ下温泉街のあたり。ともに急坂の後に傾斜が緩くなる場所でスピード感がなくなり、選手を苦しめるという。
大関ドクターは、このように分析する。「急な下りでは前傾姿勢で、脚を振り上げなくても加速度が出るので、体を前に進める
上りから下りへの切り替え
5区もそうだが、本格的な上りと下りがある6区では、その切り替えも大事になる。スタートして4・5キロの最高点の先、本格的な下りが始まるまでの間に短いアップダウン区間がある。長い下りに向けて、エンジンの回転を上げておきたい場所だ。
坪井 上ったところで一息つきたくなるが、ここでいかにリズムを切り替えるか。ピッチを上げておけば、脚が回って下りに入りやすくなる。
島貫 どうしても上りで動きが悪くなってしまうので、ピッチを速めて、良い動きに変えられるかどうかがポイント。
6区を走った意味とは

箱根駅伝で6区を走ったOBからは、世界の舞台で活躍する選手も出ている。
日体大で57回大会から3年連続で6区を走った谷口浩美は、1991年世界陸上の男子マラソン優勝し、92年バルセロナ五輪では「こけちゃいました」のフレーズとともに8位入賞の成績を残した。前回96回大会で区間新記録を出した館沢が、スピードランナーとしてさらなる進化を示しているのも頼もしい。10月の陸上・日本選手権で男子1500メートルを制し、五輪出場を狙っている。
そんな館沢ら前回6区を走ったランナーたちに、改めて尋ねてみた。「山下り」の試練を通じて感じたことや得た収穫とは、あなたにとって何だったのだろう?
坪井 6区のなかで一番早いラップだけ足したら、5000メートルが12分半(ほぼ世界最高記録)。こんなスピードを経験できたことは良かった。6区を走った後は平地でも結果が出てくるようになった。
中村 6区は重心移動がものをいう区間なので、その技術は磨かれたと思う。
今西 体がいうことをきかず、脚が止まるような状態を経験できた。日頃、走っていて苦しくなっても、6区の経験を思い出して冷静に自分の体と対話できていると思う。
島貫 大学で駅伝をやると決めた時、山にあこがれがあった。上りよりは下りかなと思った。6区はスピード自慢が多くて、フォームのきれいな選手も多い。自信をもっている人が多い。
館沢 4年間、毎年違う区間を走り、1年生で5区、4年生は6区だった。どちらもきつかった。5区はゴールできないかと本気で思ったが、6区は苦しくても(下りで)その意思に関係なく体が勝手に動かされるので、上りとは違った苦しさがある。
5区で4年連続区間賞を取るなど、東洋大時代に「山の神」と呼ばれた柏原竜二(富士通・企業スポーツ推進室勤務)をして「あれだけ足が血まみれになって、爪がはがれて、歩けなくなって、『もう無理』と言ってるのに、なぜ6区をやりたいと思うのでしょうか」と言わしめる山下り。「花の2区」、「山登りの5区」など箱根駅伝のハイライトは数々あるが、今回は各校のランナーが身を削る思いで挑む下りの6区にも注目したい。
96回大会 6区プレーバック
往路で3年ぶりに優勝した青山学院大の谷野航平が午前8時、芦ノ湖畔から走り出した。3分22秒差の4位でスタートした東海大・館沢亨次は、直後に3位へ上がると、9キロ地点でトップとの差を2分24秒まで詰めた。終盤は、かかとにできた血まめの激痛とも戦いながら、2位の国学院大に肉薄。前年に小野田勇次(青山学院大)がマークした57分57秒を40秒も更新する区間新記録の快走をみせた。もう一人、従来の区間記録をしのぐタイムを出したのが、東洋大の今西駿介だ。11位スタートから順位を4つ上げ、3年連続で山下りを任されたスペシャリストらしい活躍だった。
青学大の谷野は東海大など後続のプレッシャーを受けながらも、下り坂では差をほとんど縮めさせなかった。首位を守ったまま小田原中継所に飛び込み、区間3位の58分18秒という好走でチームの総合優勝に貢献した。区間1~3位の好記録だけでなく、島貫温太(帝京大)まで13人ものランナーが1時間を切った。高反発をうたう厚底シューズの出現もあって記録ラッシュとなった前回大会では6区もまた、高速化の波にさらされた。