全力尽くした箱根駅伝、挫折は人生のバネに…青山学院大5区・竹石尚人(4年)
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駒大が13年ぶり7度目の総合優勝を果たした第97回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝=読売新聞社共催)。大会史上に残る最終10区残り2キロでの逆転劇の陰で、別のドラマも演じられていた。卒業を1年延ばして「山の神」を目指した5年生。箱根駅伝のもう一つの物語「アナザー・ストーリー」を紹介する。

立ち止まった「5年生」無念の山登り
これが3度目の山登り。10位でタスキを託され、「一つでも前の順位へ」と気合が入った。しかし、13キロ過ぎ、脚のけいれんで立ち止まる。何とか走り始めたが、17キロ過ぎに再びストップ。順位を二つ下げ、「結果が全てなんで……」と無念さをにじませた。
登録は「4年生」だが、大学5年目。前回大会は故障もあり、原
大分・鶴崎工高では全国区の選手ではなく、「強くなれる環境でもまれたい」と青学大へ進んだ。登りの適性を見いだされたのは、2年の夏。涼しい顔で起伏を走る姿が監督の目に留まり、OBの神野大地(セルソース)に続く「山の神」として期待された。
しかし、本番で力を出し切れない。区間5位で4連覇に貢献した2年時も、区間13位に沈んだ3年時も、脚がけいれんした。今季、1万メートルで自己記録を更新するなど走力を高めて臨んだが、またもはね返され、チームも総合連覇を逃した。
ただ、原監督の言葉は温かかった。「ここから彼の新たな人生は始まる」。卒業後、静岡のテレビ局に就職する竹石に「全力を尽くした者の挫折は次へ向かうバネになる。本当の悔しさを知るからこそ、アスリートに寄り添った番組を作れる」とエールを送った。
時に4年生らの相談に乗った「5年生」は大会前、しみじみ語った。「卒業延期を認めてくれた両親、監督、スタッフ、チームメート。たくさんの方に支えてもらった1年だった」。山の神にはなれなかったが、その挑戦は自身を一回り成長させた。(平野和彦)