終電繰り上げに五輪列車中止…今なお光る「スジ屋」の技

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 終電繰り上げや五輪用の臨時列車の運行中止。鉄道会社にとって今年は、幾度もダイヤを組み替える異例の年となった。そのダイヤの原案は今も、紙に線を引いて作られている。作業を担うのは、「スジ屋」と呼ばれる社員たちだ。(社会部・山下智寛)

列車ダイヤグラム…今も紙に筋を引く

紙のダイヤを使って打ち合わせをするJR東日本の「スジ屋」たち。広げた紙の長さは3メートル以上にもなる
紙のダイヤを使って打ち合わせをするJR東日本の「スジ屋」たち。広げた紙の長さは3メートル以上にもなる

 長さが3メートルもある着物の帯のような紙に、定規と鉛筆で細かい線が何本も引かれていく。折れ曲がり、交差するそれは、徐々に複雑な幾何学模様を形作る。

 東京都北区のJR東日本東京支社7階の輸送課。「これがダイヤグラムを作る作業です」。本社在来線輸送計画グループの三浦智志・副課長がこう言って、作業の一端を見せてくれた。

 ダイヤグラムは、ダイヤの元になる図表のこと。紙の左端にある縦軸には路線の駅名が順に記載され、上端と下端にある横軸には1分刻みで目盛りが打たれている。線は列車の動きを反映する。例えば、A駅を午後0時に出発し、B駅に15分後に着く列車は、縦軸の「A駅」と横軸の「午後0時」が交わる点から、「B駅」「0時15分」の交点に引かれた斜線で表される。

 ダイヤグラムは、「スジ屋」と呼ばれる運行計画担当者たちが作る。通常はコンピューター上で組むが、春のダイヤ改正の原案作りや事故復旧時は紙に筋を引く。小さな画面よりも紙の方が全体を一目で把握でき、変更点の比較もしやすいからだ。

 原案作りでは、相互乗り入れの状況や人口動態などを念頭に、現行のダイヤグラムに鉛筆や蛍光ペンで新たな筋を書き入れる。利用しやすく、乗員配置などが効率化できる最良の解はないか。ひたすら手を動かす。三浦副課長は「複雑に絡みあったダイヤを全自動では組めない。紙に筋を引く作業は今後もなくならない」と話す。

イギリスの技術者に学ぶ

原案段階では紙に鉛筆と定規を使って筋を引く
原案段階では紙に鉛筆と定規を使って筋を引く

 ダイヤグラムを日本に広めたのは、イギリス人技術者のウォルター・フィンチ・ページ(1843~1929年)と言われる。日本初の鉄道が新橋―横浜間に開業した2年後の1874年(明治7年)、各地に建設され始めていた鉄道のダイヤを作成するため、招聘された。「日本国有鉄道百年史」によると、着任した官設鉄道(国鉄の前身)の運輸長の月給は500円。新橋駅長が45円だったことを考えると、破格の待遇だった。

 当時、鉄道の運行法は重要技術だったに違いない。ページが密室で作ったダイヤグラムを、ある鉄道局員が机の引き出しから見つけ出し、日本人も作れるようになったという逸話が残る。鉄道博物館(さいたま市)の五十嵐健一学芸員は「逸話が本当なのかはわからないが、1890年代になってようやく、技術を習得した日本人がダイヤを作成するようになった」と話す。

鉄道各社、何度もダイヤ調整

 鉄道各社はダイヤ改正に1年をかけるが、今年は何度も調整せざるを得ない事態に直面した。

 首都圏では1月、新型コロナウイルスの感染対策で、国の要望を受けて終電を繰り上げた。元々は春のダイヤ改正で実施する予定だったのを、急きょ2か月前倒し。7月には東京五輪の無観客開催を受け、臨時列車の運行を中止した。JR東のスジ屋たちは、線を引き直しはしなかったものの、ダイヤ調整や他社との連絡に奔走。東日本大震災以来の多忙さだったという。

 鉄道各社は今、来春のダイヤ改正を進める。JR東では、首都圏各支社にいる約30人のスジ屋が、担当路線にどんな線を引こうかと頭を悩ませる。車掌や運転士など一通りの業務をこなした彼らでも、コロナ禍の利用状況は見通せない。スジ屋歴15年以上という矢崎亮・支社輸送課副課長(42)は「一本の線の後ろに、何千ものお客さんがいる。それを忘れず、いいダイヤを作っていきたい」と語った。

「1日24時間」の定着にも一役

 日本初の鉄道が開業した1872年(明治5年)当時、日本では、不定時法と呼ばれる時刻の決め方が使われていた。日の出から日没までを昼、日没から日の出までを夜とし、それぞれを6等分して「一時」としていた。

 この方法では、一時の長さが季節によって異なり、昼間が長い夏の一時は、冬よりも長くなる。このため、鉄道の時刻表には開業当初から、1日を24時間に分割する定時法が使われた。時刻表には、不定時法と区別するために、「時」ではなく「字」という漢字が用いられていた。

 鉄道の開業から2か月もたたない11月9日、政府はそれまで使われていた太陰太陽暦を太陽暦に切り替え、同時に定時法を導入すると布告。12月3日を、明治6年(1873年)の1月1日と改めた。この改暦に合わせ、時刻を表す漢字も「時」に統一されたため、「字」が記載された時刻表は希少となり、ほとんど残っていない。

 ゆったりとした不定時法の中を生きてきた当時の人の時間感覚が、改暦で突然変わったわけではない。鉄道の普及とともに時刻表が一般的になったことも、定時法の定着に一役買ったと言われている。

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