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甲府からこゝへ来た 昇仙峡は
流石
にいゝ――――芥川龍之介「日誌」(1908年)

「甲府からこゝへ来た 昇仙峡は流石にいゝ」。東京の旧制中学4年だった16歳の芥川龍之介は、夏休みの旅行で目にした昇仙峡の渓谷美を「日誌」に書き残している。


甲府駅から乗ったバスを昇仙峡口で降り、
遊歩道は途中から落石で通行止めになっていた。再びバスに乗り、昇仙峡の絵地図を広げる。やまなし観光推進機構の仲田道弘さん(62)から教えられた、「ひときわ高くそびえる
雨にぬれた黄土色の岩肌に、曲線や直線が複雑に並んでいる。仲田さんによれば、「美術家マルセル・デュシャンの代表作『階段を降りる裸体No.2』を思わせる場所」。約30年前から山梨県庁内で静かに話題を呼んでいるという。観光地図に載っていない奇岩が確認できて、ちょっと得をした気分になった。
今度は上流から遊歩道を下る。高さ約30メートルの
この一帯には、北方の
「仙なる地に昇る峡谷というのが、名前の由来のようです」と、現地で会ったボランティアガイド「昇仙峡マイスター」の雨宮洋一さん(79)が教えてくれた。
金峰山、金桜神社、御嶽道などを含めた「御嶽昇仙峡」は2020年、日本遺産に登録された。「今後は古くからの参詣道に足を踏み入れる人も増えるのではないでしょうか」。そこにはまた別の昇仙峡が待っているのだろう。
芥川龍之介(あくたがわ・りゅうのすけ)
小説家。1892~1927年。東京に生まれ、東京府立第三中、一高を経て東京帝国大学卒。作品に「鼻」「羅生門」「蜘蛛(くも)の糸」など。根っからの旅好きで、府立三中の時から級友らとしばしば旅に出かけた。4年の夏休みに旅をした記録が書かれた「日誌」は山梨県立文学館が所蔵する。同館では芥川の生誕130年を記念する「旅の記憶」展を6月19日まで開催中。「日誌」などの所蔵資料を中心に、北海道から九州、さらに上海など中国各地に及ぶ足跡を紹介。その見聞が芥川の生活や作品に与えた影響に思いをはせることができる。
文・藤原善晴
写真・中村光一
富士仰ぎ 広重の旅路思う

風光

山梨県甲斐市で長く観光関係の仕事に携わった内藤博文さん(64)から「広重が歩いたあたりを見渡すには、昇仙峡ロープウェイで尾根に上がるのが一番。運が良ければ富士山も見える」と聞き、麓の乗り場に行った。
窓口の係員に、尾根にあるライブカメラの映像をスマートフォンの画面で見せてもらった。富士山の中腹は見えるが、上から雲がかぶさっている。しかし尾根に着いて展望台に向かうと、雲がみるみる離れていき、富士山の美しいシルエットが姿を現した。
広重はこの付近に来る間、富士山らしき山を描いているという。彼の旅路の一場面を追体験した気がした。別のスケッチに描かれている
「富士山のパワーを浴びることができましたね」。昇仙峡ロープウェイの鈴木康彦社長(78)から声をかけられた。まったく幸運な旅である。
甲府市内の湯村温泉にある湯谷神社、厄
皇族の宿として知られる常磐ホテルの笹本健次社長(72)は、「当館に滞在しながら、昇仙峡を舞台に使った小説を執筆した作家もいました」と語る。緑豊かなホテルの庭にある樹齢約100年のケヤキの下に、ワインの一升瓶を持ち込んで宴会を開いた作家もいたと伝わる。
渓谷を歩いたり、ホテルの庭で談笑したり――。旅の見聞を創作の糧とした姿を想像した。
●ルート 東京・JR新宿駅から甲府駅まで中央線特急で約1時間30分。バスで昇仙峡口まで約30分、仙娥滝近くの昇仙峡滝上まで約50分。
●問い合わせ 甲府市観光案内所=(電)055・226・6978 山梨県立文学館=(電)055・235・8080 昇仙峡観光協会=(電)055・287・2555
[味]熟成「甲州牛」香ばしく

山梨県の豊かな自然の中で育てられた黒毛和種肥育牛の肉のうち、品質ランク上位の5、4等級のみが「甲州牛」として流通している。
昨年11月、湯村温泉・常磐ホテル敷地内の古民家に、甲州牛と県産ワインを楽しむステーキハウス「ペントハウス甲州」((電)055・254・5555=予約専用)がオープンした。
熟成させた甲州牛は、東京・銀座にある本店譲りの調理法によって表面がこんがりと焼かれている=写真=。香ばしく、かむたびにうま味があふれる。甲州牛を使ったガーリックライスも味わい深い。ワインセラーにはステーキによく合う銘品が県内のワイナリーから集められている。
ひとこと…次回は電気バスで
芥川龍之介は昇仙峡を訪れてから2年後、甲府を再訪。その旅に関する書簡には「甲州
湯村温泉郷と昇仙峡を結ぶパークアンドライド方式の電気バスが、早ければ来年にも運行すると聞いた。その頃に甲府や昇仙峡を再訪したいと思う。