「青春18きっぷ」の38年を振り返る
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鉄道ファンに愛されてきた歴史
青春18きっぷの前身となる「青春18のびのびきっぷ」が初めて発売されたのは、国鉄末期の1982年。当時、爆発的な人気となっていた「フルムーン夫婦グリーンパス」に次ぐ、国鉄の乗り放題きっぷ第2弾という位置づけだった。「国鉄離れ」という言葉が広まった時代に、若者に鉄道旅行の習慣をつけてもらおうと企画された。
破格きっぷの誕生
第1回の価格は8000円。利用できるのは国鉄全線の普通・快速列車の普通車と連絡船の普通船室で、有効期間は3月1日~5月31日。1日券3枚と2日券1枚の計4枚つづりという構成だった。
現在の青春18きっぷと大きく違うのは有効期間と枚数構成。当時はゴールデンウィークも利用可能で、2日券が含まれていた。
同年夏に第2回が1万円で発売され、第3回の翌1983年春季より「青春18きっぷ」という現在の名称に変更となり、ゴールデンウィークが有効期間から外れた。84年の夏季に1日券5枚に変更、冬季の販売が開始されて、今の「1日分が5回」の構成と、「年3度の販売」が確立した。
1日2000円程度で国鉄全線乗り放題という破格のきっぷは、若者の格安旅行の味方ともてはやされた。当時は、国鉄が「いい旅チャレンジ2万キロ」というキャンペーンを実施していたこともあり、鉄道ファンには「乗りつぶし」に欠かせないきっぷとなった。
1980年代を青春18きっぷの「
廃止や開業で変わるきっぷ
転機が訪れたのは1996年。この年、5回分を1枚の券片にまとめた様式となり、金券ショップでのばら売りができなくなった。97年には長野新幹線が開業し、並行在来線だった信越線の横川―軽井沢駅間が廃止、軽井沢―篠ノ井駅間がしなの鉄道に移管され、青春18きっぷが使えなくなった。この後、整備新幹線が開業するたびに並行在来線が第三セクターに移管され、青春18きっぷの使えない区間が増えていく。2000年代半ば以降は「ムーンライト」の運転も縮小され、地方の旅がしにくくなっていった。
一方で04年冬季から、普通・快速列車のグリーン車自由席が、グリーン券を別に購入すれば乗車可能になった。この頃には、きっぷのメインユーザーが若者から中高年にシフトしていて、グリーン車解禁はその象徴ともいえた。振り返ると、1990年代後半から2000年代が、青春18きっぷにとって「転換期」だったといえる。
2010年代に入るとルールが複雑化していく。10年の東北新幹線新青森駅開業の際、条件を満たせば、並行在来線の青い森鉄道に乗車可能になった。並行在来線に乗車できる特例は、15年の北陸新幹線開業でも設定された。翌16年の北海道新幹線開業に際しては、在来線で青函トンネルを抜けられなくなったため、北海道新幹線オプション券を使えば新幹線に乗車できるようになった。
「国鉄全線、普通・快速列車の普通車のみ」というシンプルなルールでスタートした青春18きっぷも、年を重ねるにつれ、その姿を変えてきたことになる。料金は現在1万2050円に。一方で、「JR全線乗り放題」という最も重要なコンセプトは昔のままだ。
2020年、青春18きっぷは38年目を迎えた。当時の18歳は56歳となり、定年が視野に入る年齢となった。だが、青春18きっぷに年齢制限はなく、定年もない。若者向けとして売り出されたきっぷは、世代とともにシニアにも愛されるようになった。青春18きっぷは、これからもすべての年代に、自由な旅を提供し続けてくれるだろう。
文・写真 鎌倉 淳(旅行総合研究所タビリス代表)
(「旅行読売」2020年7月号から)

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