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東日本大震災から10年 三陸鉄道の軌跡

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 2011年3月11日に発生した東日本大震災で、三陸鉄道(愛称・三鉄)は大きな被害を受けた。あれから10年。同社社員の冨手(とみて)(あつし)さんが、三鉄のこの10年の歩みを振り返る。

2014年4月6日、三陸鉄道の全線で運行が再開され、列車に向かって大漁旗を振る人々。東日本大震災で一部区間が不通となっていた三陸鉄道が完全復活を遂げた
2014年4月6日、三陸鉄道の全線で運行が再開され、列車に向かって大漁旗を振る人々。東日本大震災で一部区間が不通となっていた三陸鉄道が完全復活を遂げた

 地震発生時、私は宮古駅2階の本社にいた。大きく長い揺れに、「津波が来るかもしれない」と感じ、駅で乗降客の避難を指示し、走行中の列車の位置を確認した。幸い、列車は安全な場所に停車したことがわかり、胸をなでおろした。だが、街に目をやると、大通りに津波らしきものを確認。私たちはいったん避難した後、駅ホームに停車中の車両を対策本部にした。この時、宮古市内は停電していたが、三鉄の車両は気動車なので、照明や暖房が使えたからだ。

 3月13日朝、津波警報が解除になると、望月正彦社長(当時)と沿線の状況確認に向かい、田老(たろう)地区の壊滅的な状況、(しまの)(こし)駅付近の被災状況(高架橋と駅舎が消滅)を目の当たりにした。それは予想だにしなかった光景だった。「復旧できるのか?」。そんな思いが脳裏をよぎったことを覚えている。

 だが、「動かせるところは動かそう」というのが、望月社長が下した決断だった。私も内心、その判断に安堵(あんど)した。こうして、震災発生からわずか5日後の3月16日に陸中野田―久慈(くじ)駅間で営業運転を再開。その後、宮古―田老駅間、田老―小本(おもと)駅(現・岩泉小本駅)間も復旧していった。

山田線移管でひとつながりに

被災からわずか5日後に営業運転を再開した三陸鉄道の久慈駅(2011年3月16日撮影)
被災からわずか5日後に営業運転を再開した三陸鉄道の久慈駅(2011年3月16日撮影)

 被災から1か月強が経過した頃、望月社長は沿線自治体から復旧工事の了解を取り付け、国への支援要請を行った。この頃、県内外の多くの方から「三鉄の復旧を望む」との声が高まっていた。そうした熱意が、国を動かし、支援につながったのだと感じている。そして、復旧予算が決まった2011年11月に復旧工事に着手。14年4月5日に南リアス線、翌6日に北リアス線全線が復活した。

 三陸鉄道が「北三陸鉄道」として登場するNHKの連続テレビ小説「あまちゃん」(2013年4月~9月)の放映も、復興を目指す私たちの大きな励みになった。

 三鉄は復旧したが、南北リアス線に挟まれるJR山田線の宮古―釜石駅間は震災で大きな被害を受け、不通になったままだった。JRでは線路跡をバス専用道路とするBRT(バス高速輸送システム)方式で山田線の復旧を提案したが沿線自治体に受け入れられず、JRが鉄道として復旧して三鉄に移管することになった。こうして19年3月23日、三陸鉄道は(さかり)―釜石―宮古―久慈駅が1本につながり、リアス線(全163キロ)として新たなスタートを切った。

 大勢の人たちに乗車してもらい、好調なスタートを切ったのもつかの間、同年10月に台風19号の直撃でリアス線は大きな被害を受け、復旧に半年を要した。

 現在もコロナ禍で、三鉄は厳しい状況が続いている。しかし、コロナ禍の収束次第ではあるが、今夏にはプレミアムランチ列車や夜行列車などの運転を計画している。

 ぜひ、また三陸へ。全国の皆さまのお越しをお待ちしています。

 文/冨手 淳

 (月刊「旅行読売」2021年4月号から)

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