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【コラム/旅へ。】営利と道徳の両立を説いた渋沢栄一

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 「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」(岩崎夏海著)は、普通の女子高生が弱小野球部を経営学の手法で奮い立たせ、奇跡を起こす物語だ。2009年の「もしドラ」は300万部超えのベストセラーとなったが、現代経営学の泰斗、ピーター・ドラッカーが日本の資本主義の父と言われる渋沢栄一(1840~1931年)を高く評価していたことは、あまり知られていない。

渋沢栄一の生地、旧渋沢邸「中の家(なかんち)」。栄一は23歳までこの場所で暮らしたという(現在の建物は、栄一の妹の夫により、1895年に上棟された)
渋沢栄一の生地、旧渋沢邸「中の家(なかんち)」。栄一は23歳までこの場所で暮らしたという(現在の建物は、栄一の妹の夫により、1895年に上棟された)

 埼玉県北部の深谷市、渋沢の生地の辺りは 血洗(ちあらい)(じま) と呼ばれる。山の神が戦い、傷を癒やした。洪水の地洗いが血洗いに。物騒な地名の由来はさだかでないが、この地で盛んだった藍の取引で商いを学んだ若者は、多くの血が流れた幕末を生き、「一滴一滴のしずくが大河になる」と日本初の銀行を設立した。故郷で学んだ「論語」が精神に染み込んでいたのだろう。

 三菱財閥の岩崎弥太郎に「二人で実業界を動かそう」と誘われたが、「独占は利己的行為」と席を立った。500を超す企業などの設立に携わった渋沢を、ドラッカーは「ロスチャイルド、モルガンを (しの) ぎ、世界の誰よりも早く、経営の本質は責任と見抜いた」と絶賛したが、営利と道徳の両立を説き、わがままで、欲深い資本主義に良心と良識、人の温もりを教えた功績は大きい。

 信念の人でもあった。東京・ 飛鳥山(あすかやま) の邸宅で窮民救済の陳情を受けた90歳の渋沢は、「最後のお務め」と病床から役所に向かった。91歳で没する数日前には、「敬三さんを頭取にします」と言う銀行首脳を「孫だからというなら、余計なこと」と叱りつけた。日銀総裁、大蔵大臣を務めた、その渋沢敬三は戦後、「私自身を含め、指導者は万死に値する罪びと」と戦争責任を認め、財産税を納めるために邸宅を手放し、財閥解体にも従った。「ニコニコしながら没落する」と運命を受け入れたのである。

 ドラッカーの「責任」は軽んじられ、資本主義が揺らいでいる。世界の上位1%の人の富が残り99%の総額を上回り、7億3000万人が1日200円未満で暮らすという。もし渋沢がこの圧倒的な格差を知ったなら――。「老いぼれがお役に立つなら」と (つえ) で体を支え、よろよろと立ち上がる姿が目に浮かぶ。その 眼差(まなざ) しは厳しい。

 文・三沢明彦

 (月刊「旅行読売」2021年8月号から)

◆月刊「旅行読売」
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2134965 0 旅行読売セレクト 2021/06/24 05:20:00 2021/06/24 05:20:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/06/20210618-OYT8I50006-T.jpg?type=thumbnail

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