文字サイズ

    (24)吃音 寄り添う社会訴え 南 孝輔さん65

    「言葉出ない」命絶った仲間

    • 週1回、吃音者が集まり、好きなことを話し合う「吃音カフェ」。南さんは自らドリップしたコーヒーを参加者に振る舞う=沼田光太郎撮影
      週1回、吃音者が集まり、好きなことを話し合う「吃音カフェ」。南さんは自らドリップしたコーヒーを参加者に振る舞う=沼田光太郎撮影

     何もできなかった。笑顔の裏にあった苦悩を思う度、今も無力感にさいなまれる。5年前、34歳で自ら命を絶った彼は、吃音きつおんに悩まされていた。同じ悩みを抱えていただけに、心の内に気付けなかったことが心底悔やまれた。「吃音は死ぬほどのことではない」。どこかで、そう軽んじていた自分が恥ずかしかった。

     彼は、吃音者の自助グループ「北海道言友げんゆう会」のメンバーだった。いつも最初の一言が口から出ず、人が5分で話せることが、15分かかった。毎月の勉強会では、会長を務めていた自分が話し方のアドバイスをした。「初めて自分のことを話せる仲間がいると思った」。最初の会合で、彼はうれしそうに語っていた。

     亡くなったのは、札幌市内の病院に看護師として就職して約4か月たった頃だ。職場では、治療や薬剤の説明がうまくできず、家族に悩みを打ち明けていた。「言葉が足りない」。亡くなった後に見つかったノートにはそう書かれていた。

     自分の吃音を自覚したのは、小学3年の頃のことだ。話したいことはたくさんあるのに、最初の言葉がつっかえてしまう。文章の音読も、新学期の自己紹介も、自分の番が近づくと心臓が高鳴った。名乗るのは、名字だけ。「南、た、た、た」。タ行が苦手で下の名前が言えず、同級生からよくからかわれた。いつも心の中でひとり会話していた。

     歌うときだけは不思議と、自然に言葉を発することができた。中学校では、合唱部に入部し、テノールと指揮を担当。3年のときの謝恩会では、1人でステージに上がり、「かあさんの歌」を歌った。その頃から徐々に、日常会話での吃音は改善されていった。

     吃音に悩んだ経験を生かすため、北海道教育大学を卒業後は小学校教員の道を選んだ。他人とのコミュニケーションが苦手な子供たちと関わることを希望し、初任地の新得町の小学校では、情緒障害児学級の担任になった。6年目からは、言語障害児を対象とした「ことばの教室」を担当したが、すぐに壁にぶつかった。

     吃音や、正しい発音ができない構音障害、学校に来ると話せなくなる場面緘黙症かんもく。そんな子供たちを、何一つ改善させることができなかった。「何のためにここにいるんだろう。自分がことばの教室をやっていてもいいのか」。夜になってもなかなか寝付けず、壁に頭を打ち付けた。

     当時、ことばの教室では、教師と話したり、遊んだりする中で、コミュニケーションをとれるようにするという指導法が一般的で、発音の指導はしていなかった。教師生活7年目で足寄町の小学校に転勤した後も指導法は変わらず、子供たちに変化は見られなかった。

     限界を感じていた40歳の頃。札幌市の小学校に転勤したことをきっかけに市内にあった「北海道言友会」に入会した。吃音に関する本を読み、講習会に参加し、吃音の仕組みを一から学んだ。スピーチやゲームを取り入れた発音練習を授業に取り入れたほか、体質や環境など様々な要因がある吃音に対し、それぞれの子供に合った対応を心がけた。

     子供たちの話し方に一定の改善が見られただけでなく、子供たちの吃音に正面から向き合い、認めていくことで、受け入れられたと感じた子供たちは、自信を持つようになった。「自分のことを話せないというのは苦しいこと。うまくなくてもたくさん話してもらうことが大事だと気付いた」

    • 福島市で5日、吃音者と保護者を対象とする講演を行った南さん
      福島市で5日、吃音者と保護者を対象とする講演を行った南さん

     「北海道言友会」のメンバーが命を絶ったのは、会長になってから15年ほどたった頃のことだ。どんなアプローチをしても吃音が改善されず、大人になっても苦労している人たちがいる。教育ではどうすることもできない現実を突きつけられ、今まで以上に、周囲や社会の理解が必要だと感じた。

     今年3月、一貫して特別支援教育に携わった小学校教員を退職。その後も全国を講演会で飛び回り、吃音者への理解を呼びかけるチラシ配りなどに力を入れる一方、国への陳情も始め、吃音者に対する就労支援や、教育の拡充などを訴えた。

     全国で100人に1人はいるとされる吃音者。「自殺した彼は弱音を吐くこともできなかった。吃音があっても勉強し、働ける社会にしていきたい」。二度と同じ過ちが起きないように。(須藤菜々子)

    2018年08月26日 Copyright © The Yomiuri Shimbun
    おすすめ