[棋聖戦コラム]初めはみんな天才児…プロ棋士の力の差とは
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東京都文京区のホテル椿山荘東京で行われた囲碁の第45期棋聖戦七番勝負第1局の控室で、「井山裕太棋聖に今、2目置いて勝てるプロがどれぐらいいるか」という話になった。自身3度目の大三冠(棋聖、名人、本因坊の3タイトルを独占すること)を達成した井山棋聖は、そのぐらい強く、絶好調なのである。
「半分ぐらいのプロは『自信がない』と言いそう」と筆者が言うと、立会人の趙治勲名誉名人は笑いながら手を振った。
「いやあ、心の底では負けるなんて、だれも思ってないよ。何しろ子供の頃は、みんな『天才児』だったんだから」

そう言われてみればそうだな、と思った。「棋士」になる人って、イメージでいえば、こんな感じなのである。
(1)子供のころにルールを覚え、2、3年で近隣では相手がいないぐらい強くなる。早ければ小学校低学年で、子供同士のものとはいえ、全国大会で優勝を争う存在になる。
(2)そんな子だけが集まるプロの予備軍「院生」で、仲間同士の戦いに勝ち抜いて、「入段試験」を受けられるところまで上ってくる。
(3)試験で優秀な成績を収める。例えば、日本棋院の「冬季棋士採用試験」は16人でリーグ戦を行い、プロになれるのは上位2人。ちなみに「院生」は17歳が「定年」である。
(1)~(3)を見ていただけると分かるだろう。「棋士」とは、「天才児」の中から勝ち抜いて残ってきた人なのだ。技術が高いのはもちろん、精神的にもタフ。「井山棋聖にだって簡単には負けないと思っている」ぐらいじゃないとたどり着けない。趙名誉名人の言葉を翻訳すると、こんなふうになる。

趙名誉名人はさらに言う。
「トッププロとあまり勝てないプロの間でも、力の差はほんのわずか。それはアマチュアの人たちが思っているよりもずっと小さいものかもしれないね」
タイトル戦の控室。立会人、解説者が中心になって、ひとつの盤を囲む。若手もベテランも意見を出し合い、その時々の局面を検討する。参加できるのは原則、前述した「プロの関門」を通り抜けた人たちだけ。
緊張感と楽しさがある「プロの世界」が、そこにはある。コロナ禍で、そういう光景がなかなか見られなくなったのが、少し残念なのである。(編集委員 田中聡)