[観る将が行く]80歳のレジェンドいまだ健在
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豊島将之竜王がおやつに毎回、フルーツを注文していることについて、話を聞くつもりだった。現役時代、食事やおやつで数々のエピソードを残したあの人に。ところが――。
「竜王戦の第2局、私は研究しましてね。豊島竜王が▲3四桂と打った手(注:65手目)があるでしょ。あそこで、▲7一角△5二飛の交換を入れてから▲3四桂と打てば、私の研究ではね、豊島竜王が面白いと思っていました。豊島竜王は飛車を7筋に転回しましたが、あの発想が良くなかった。飛車は2六の位置に置いたまま、相手の玉頭に攻め込んでいったら指せていたはずですよ」
甲高い声、早口でしゃべりまくるこの人、将棋ファンならおわかりだろう。電話の向こうにいるのは、そう、「ひふみん」こと加藤一二三九段である。
「この将棋、まずですね、豊島竜王は角換わりから、私も指されたことない作戦を採用しました。おそらくこの10年、実戦例は少ないでしょう。羽生善治九段は、よくこれをしのいだと、本当に感嘆しています。ただ、作戦自体は間違っていなかったと思います。今度、豊島竜王と対戦する人は、警戒するでしょうね……」。将棋の話が止まらない。きっと家で研究した結果を早く誰かにしゃべりたくて仕方がなかったのだろう。

ところで先生、豊島竜王は毎回、おやつをフルーツの盛り合わせと決めているようですよ。ようやく話のきっかけを見つけたので、聞いてみた。
「私のことで言いますと、40年間、うな重ですからね。食べ物であれこれ考えだすとキリがないんです。だから、最初から決めて余計な力を使わないということで、うな重にしていました」
おやつも決めていましたね。
「そう、おやつもあれこれ考えないで、チーズ。カマンベールチーズとかね。あと、チョコレート。普段の対局の時は家から持参していました」
タイトル戦では、みかんのような果物も食べていませんでしたっけ。
「だいたいみかんを食べる時は、少なくとも、まあ、二つぐらい」
えーっ、もっと多かったのでは?
「多い時で四つですよね。みかんってジューシーでいいですよ。そうそう、ケーキもよく食べました、紅茶とセットで。ある時、ライバル棋士の前で、私はケーキを三つ注文しました。その棋士は『加藤さんは、自分が食べる分と私の分、記録係の分まで注文してくれたに違いない』と感激していたら、私が全部食べてしまったので、仰天したと本に書いていました」
勝敗は聞かなかったが、相手がメラメラと闘志を燃やしたことは容易に想像がつく。おやつも勝負のうち。たかがおやつ、されどおやつ、なのである。
「聞くところによると、ある若手棋士はおやつにバナナを10本ぐらい食べたみたいですね。後輩棋士たちも、なかなかユニークな振る舞いをするようになりました」
いえいえ、先生の方こそ。確か、バナナもよく食べましたよね。
「自分はね、たぶん3本ぐらいですかね、さすがに10本は」
??? つ、次の質問が出てこない……。
最後はやっぱり将棋の話になった。
「最近、渡辺明名人や藤井聡太2冠の将棋を見ていますと、矢倉で早めに▲2六歩から▲2五歩と突く将棋が増えていますね。我々の時代は、飛車先の歩はなかなか決めなかったものです。腰掛け銀といっても難解ですし、相掛かりの将棋もイマイチはっきりしないところがある。先手番の得を発揮するなら、やはり矢倉でしょう」。現役時代、矢倉を得意とした加藤九段らしい将棋観だ。
第2局、加藤九段は羽生九段の隠れた勝因として、48手目の△2二玉を挙げた。「この手は、だれにもまねできません」。羽生陣には相手から▲4一銀と打たれるスキが生じ、守りの要である3二の金が消えた。玉が不安定になったが、代わりに銀を手にした。「銀を手持ちにしないと戦えないという大局観、目が覚めました」と加藤九段。終盤、羽生九段は豊富な持ち駒を惜しげもなく投入し、豊島玉を仕留めた。守りの要の金が駒台の銀に変わり、相手玉の死命を制するのに一役買ったのである。加藤九段の眼力、おそるべし。
現在80歳の加藤九段はあと2か月ほどで、9×9の将棋盤にちなんだ「盤寿(81歳)」を迎える。最後に、竜王戦七番勝負をこれからどのような心境で見守っていくのか聞いた。
「最高のタイトル戦ですからね。ずっとこれからも研究し続けます」ときっぱり。レジェンド、老いてますます盛んなのである。(田)