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羽生先生はやっぱりすごかった[山口恵梨子の将棋がちょっと面白くなる話]

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 みなさん、こんにちは。女流棋士の山口恵梨子です。このたび、読売オンラインさんで月1回コラムを担当することになりました。将棋界の多岐にわたる話題を、一女流棋士の目線でお伝えできたらと思います。よろしくお願いいたします。

 初回のテーマは、どどんと「竜王戦」です。

将棋界最高の賞金、実力主義の「ドリーム棋戦」竜王戦

女流棋士の山口恵梨子です
女流棋士の山口恵梨子です

 いまの将棋界のプロ制度は日本将棋連盟が認定したプロ資格保持者が、公式戦と呼ばれる対局(試合)をして成績を競い合う形になっています。公式戦の中でも優勝者に称号が与えられるタイトル戦は現在、八つあり、その序列トップにあるのが、読売新聞社が主催する「竜王戦」です。

 序列トップってどういうことかを簡単に言うと、「将棋界で一番強い人は誰なの?」と聞かれたら、まず名前が挙がるのが竜王になります。つまりは世界最強。万が一、宇宙から将棋星人が攻めてきて、5対5の団体戦をするのなら、地球の大将格は竜王になるのです。

 最強を決めるだけあって、この竜王戦、とにかくすごい棋戦です。

 まず驚くのが賞金額。プロ棋士は公式戦の対局をすることで、対局料というお金をいただき生活しているのですが、竜王戦の優勝賞金はなんと4400万円! もちろん将棋界最高で、過去にはこの賞金を使って、東京ドームを借り切って草野球をした猛者もいたとか、いないとか……。

 さらにすごいのが、アマチュア、奨励会員、女流棋士も一定成績を挙げれば参加できること。ルール的には棋士デビューしていなくても竜王位を獲得することが可能で、若手棋士の間では「竜王戦ドリーム」なんて言葉もささやかれます。要は、実力さえあれば、一気に棋界の頂点に駆け上がれる「夢の棋戦」なのです。

 そんな竜王戦ですが、私は女流棋士として大盤解説会の聞き手の仕事で関わりを持つことが多いです。一番印象に残っているのが、2017年に鹿児島県の指宿白水館で行われた第30期竜王戦七番勝負第5局、渡辺明竜王VS羽生善治棋聖戦(肩書は当時)。羽生先生が勝ったら「永世七冠」達成ということで、社会的にも注目を集めた一局でした。

指宿名物「砂蒸し温泉、よろしく」って…キイテナイ、キイテナイ

 2日制で行われる竜王戦七番勝負。現地での大盤解説会は基本、勝負が決まる対局2日目に行われます。聞き手の私はこの時も、解説会の前日に現地入りして、解説会の翌日に帰京という2泊3日のスケジュールでの“出張”となりました。

 鹿児島空港から解説の棋士と2人でタクシーに乗り、揺られること1時間半ちょっとで会場に到着。関係者にあいさつをすませ、「さあ、部屋に荷物を置くか」という時に、読売新聞の女性スタッフさんから声をかけられました。

 「山口さん、実は明日の朝、大事な仕事があるんです」
 「大事な仕事?」
 「砂蒸し温泉、よろしくお願いします!」
 「???」

 なんと早朝から棋士数名とともに浴衣で指宿名物・砂蒸し温泉に入ってほしいとのこと。しかも、ABEMAなどがその模様を撮影するという……。ナンテコッタ!

  愕然(がくぜん) としながら、しばし熟考。

(キイテナイ、キイテナイ……いや、でも待てよ? 今夜は温泉に入って、湯上がりに鹿児島ラーメンを食し、朝から砂蒸し風呂。冷静に考えると最高じゃないか。こんなに楽しい仕事があっていいのか……いや、そもそも開催地のPRは、タイトル戦に同行する我々にとって重要な使命のはず! これは立派な仕事だ!)

 「やらせていただきます」

指宿名物・砂蒸し温泉に入りました(提供:日本将棋連盟)
指宿名物・砂蒸し温泉に入りました(提供:日本将棋連盟)

 というわけで、朝っぱらからさっそく一仕事(?)。すっぴんをさらしたくない一心でしっかり化粧を施した結果、顔テカテカの状態でカメラに収まることになりましたが、「果たしてあの 絵面(えづら) は許されるのか」という疑問を除けば、最高に楽しい思いをさせていただきました。

 身も心もぽかぽかになって、朝食を食べたら大盤解説会です。対局は、羽生先生が角換わりの最新型で攻め続け、渡辺先生がカウンターを狙う、手に汗握る大熱戦。最後は羽生先生が攻め切って、勝利となりました。

永世七冠を達成、大盤で対局を振り返る羽生先生(右)(2017年12月5日、鹿児島県指宿市で)
永世七冠を達成、大盤で対局を振り返る羽生先生(右)(2017年12月5日、鹿児島県指宿市で)

 対局が終わると、両対局者は大盤解説会の会場に詰めかけたファンに一言あいさつをするのが恒例です。羽生先生の永世七冠決定ということもあり、対局者のお二人が姿を現した瞬間、会場は (すさ) まじい熱狂に包まれました。

 万雷の拍手、涙を流すお客さん、鳴りやまないシャッター音、 (ねぎら) いの言葉というより叫び声。激しい感情が音と光になって渦巻く様子は今でも忘れません。将棋ファンも棋士と一緒に戦っていたんだな、と感じました。

 聞き手を務めた私はと言えば、勝者と敗者でこの景色は全く違うものなのだと思うと、お二人に伺う質問がすぐ見つからず、ファンのみなさんの前で言葉少なに……。勝ち負けですべてが決まる残酷さ、そしてそれを直視できない自分に気づき、最高峰で戦い続ける棋士のすごさも改めて思い知らされました。

 対局終了後の関係者打ち上げでは、羽生先生の隣の席にしていただき、貴重なお話を伺えました。一番心に残っているのが、プロ棋士を目指す子供たちに向ける羽生先生のまなざしです。宴席での会話なので具体的な言葉は心の内に大切にしまっておきますが、少しだけ明かすと、「強くなるためには、強い人に認められなければならない」と思ってきた自分の考えの誤りに気づかされました。

羽生先生の言葉に、もやもやが消し飛んだ

 将棋って二人いないとできない競技ですし、強い人に強いと認められることって、結構大事なんですよね。例えば、プロ入りを目指す時には一度は「師匠」という強い人に選ばれる必要があります。自分より強い人に研究会に誘ってもらったり、練習対局をしてもらったりするにも、実力を認められなければなりません。私の場合、後者がなかなかうまくいかず、幼い頃からずっとコンプレックスになっていました。

永世七冠を達成後に開かれた記者会見で笑顔を見せる羽生先生(2017年12月5日、鹿児島県指宿市で)
永世七冠を達成後に開かれた記者会見で笑顔を見せる羽生先生(2017年12月5日、鹿児島県指宿市で)

 でも、羽生先生の言葉で、大切なのは「人から認められること」ではなくて、「まず自分で努力して周りを認めさせること」なのだと学びました。どんなに強い棋士のお弟子さんになれたとしても、それだけで強くなれる保証はないですし、結局、強くなれるかは自分の努力次第です。すごくシンプルなことなんですけど、ずっと呪いのように心の中にたまっていたもやもやが一気に消し飛んだ気がして、その時、私には羽生先生が将棋の道を指し示してくれる神さまに見えました。

 ただ、そのわずか数十分後……。

 将棋の神さまに浄化された山口はあまりにも幸せな気持ちになり、なぜかその神さま相手に、母校の白百合女子大学に飾られている標語や銅像について熱く語るなど、おしゃべりが止まらなくなっていたのでした。

 私の下手な話を優しく聞いてくださった羽生先生の笑顔とともに猛烈な後悔の念が交差する、あぁ、あの時に戻れるなら戻りたい、忘れられない思い出です。

 「山口恵梨子の将棋がちょっと面白くなる話」連載スタートを記念し、山口さんのサイン入りコミックエッセー「山口恵梨子の女流棋士の日々」(竹書房、さくらはな。著/山口恵梨子協力、1100円=税込み)を5人の方にプレゼントします。応募は こちら

プロフィル
山口 恵梨子( やまぐち・えりこ
 日本将棋連盟所属の女流棋士。堀口弘治七段門下。16歳で女流棋士となり、2010年に初段、16年二段に昇段。白百合女子大学卒。将棋が好きな人のためになる情報満載の「 女流棋士 山口恵梨子ちゃんねる 」をYouTubeに開設。ツイッターは @erikoko1012

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2144558 0 竜王戦 2021/06/22 10:00:00 2021/07/08 17:08:03 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/06/20210618-OYT8I50040-T.jpg?type=thumbnail

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