【俺はググらない】「本当の全力は楽しく、気持ち良い」…精神科医・斎藤環さん

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 精神科医で若い世代のひきこもりや不登校にくわしい斎藤環さん。「『ひきこもり』救出マニュアル(実践編)」や「承認をめぐる病」などの著作を出しているほか、読売中高生新聞でも「解決!四天王」の一人として、読者の中高生たちの悩みに答えてくれています。最近発生した川崎での児童殺傷事件などでも積極的に発信されています。

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 「全力とは何か」、取材するうちに、それぞれの人にとっての全力を追うだけではなく、心と体のエキスパートに、人間が全力を出すとはどういう状態なのか、について聞きたいと考えるようになりました。そこで、斎藤環さんを訪ねて筑波大学の門を叩いたのです。

 「先生、全力って何なんでしょう?」

能力を最大限引き出す「フロー状態」

斎藤 全力とは「自分の限界まで力を出し切る」ということですよね。精神的にも体力的にも、これ以上出せないというところまでがんばるという、言ってみれば「気合主義」的な解釈がされることが多いですが、これは一般的なイメージであって、それでは全力にはなりません。

 全力を出せる最も望ましい状態は、心理学で言う「フロー(ゾーン)状態」を作り出すことです。これが全力の定義に最も似つかわしいと思います。フローとは極度に集中し、対象と一体化している状態です。騎手であれば乗っている馬と一体になった「人馬一体」ですし、車の運転でも自分が車と一体になって融合したようになると、車のコントロールやスピードなどが自由自在になる。文筆家やゲーマーだったり、さまざまな領域で知られている現象です。これが人間の能力を最大限引き出す状態です。

 この状態を引き出すには、気合主義というのはどうしても限界があるんです。誰かに気合を出させられて「誰かのために頑張る」というのは、「できなかった場合、まずいことになる」という不安感とセットです。これは望ましい集中を妨げます。物事に没頭するには、ノイズや不安を極力持ち込まないことが大事になってきます。「安全地帯」が確保されていてこそ全力を出せるのであって、しごきや体罰で全力を出させようとしても難しいと思います。しごきでは粗暴にはなっても全力にはならないでしょうね。これは、特に体育会系の人には強調したいですね。

 フロー状態になるには、いくつかの条件が必要です。ひとつは、「ほどよい難易度」です。平常時であれば難しいけれども、がんばればできることがいいですね。カンタンにできることは全力は発揮できないです。「私は何にでも全力で取り組みます」なんて言うのは、ナンセンスですよ。自分にとって容易なことは全力を出す必要がないんですよ。気合主義でやみくもに何かをがんばればいい、という思想の弊害です。そういう意味で「しかるべき対象を選ぶ」ことも大事です。

 また、「自分がそれをコントロールできる」という感覚を持つこともフロー状態には必要です。そのためには常にフィードバックがあることが大事。即時のレスポンスがある方がフロー状態に入りやすい。スポーツだと自分の体を思い通りに動かせたときにいい結果がすぐに出るので、分かりやすいですね。

 その感覚がより進むと、「先取りして、やることが見える」ようになります。優れた医者が外科手術をするとき、メスと指先が一体化したように感じ、第三者の視点から自分を眺めているように感じると言います。そのとき、「切る線が見える」という人もいます。没頭し、フロー状態に入っているからこそ、このような感覚になるのです。極端に主観的な状態を客観的に見る、という状態が起こるのです。

「結果によって脅かされない」ことが大事

――斎藤さん自身は、何をしているときにフロー状態に入っていますか

斎藤 私の場合はマラソンと文章ですね。マラソンでフロー状態になるときはランナーズハイに近いですが、対象をコントロールするという要素がないところではちょっと違うかもしれません。

 マラソンは7年前、50歳の時に始めました。それまでは走ると楽しいなんて思えなかったのですが、安藤優子さんの「走る会」に誘われて火が付いたんです。50過ぎて身体能力が伸びるのは、それ自体快感なんです。走れば地道に記録は伸びます。それで、はまっていきました。マラソンを走っていると、37、8kmを過ぎると筋肉痛で足が動かなくなります。言い換えると、そこがその時点での全力の結果。気合主義だと「そこからさらに走ってがんばれ」ということになるんでしょうけど、そういう意味のないことはしないで、そこから先は歩いたり走ったりしてゴールします。むしろどうしたら筋肉痛が起こらないようにできるかを考えて、その後の練習に生かします。自分の限界が記録にはっきり表れる競技なんですね。

 あとは何かものを書いているときにスイッチが入ります。結構良い内容をかなり高速度で書けます。それはフロー状態に近いのかなと思います。そういうときに書いたものは、自分の中になかったもの、自分でも予測できなかったものが出てくる、という感覚があります。フロー状態で書いた文章というのは、他人の評価はどうでも良くて、自分で満足できます。その場合のフィードバックは人からの評価というよりは、自分の中から出てくるものでしょうね。

――フロー状態は精神医学的にはどう説明できるのでしょうか。

斎藤 先ほど難易度のことをお話ししましたが、難易度の高いものにチャレンジすることはひとつのストレスなんです。こういうときにはエンドルフィンという脳内麻薬が分泌されて、「クスリをキメた」のに近い状態になっていると推測されます。ただし、リストカット、自傷行為でもエンドルフィンが出ると言われていて、快楽を覚えると習慣化してしまう。これはマイナスの面ですね。バランスが大事です。ストレスなんだけど、一方で幸福感も感じている、というのが行きすぎるとエンドルフィン中毒になってしまう。フロー状態はそこに行きすぎない、中庸性やバランスを保ちながら行うのが大事。

 全力でやっているときには、実は幸福感が高まります。限界まで力を出し切る、というお説教をしたい人は「全力は苦しい、(つら)いものだ」と言わせたいですが、おそらくそういうときに出る成果よりも、フロー状態に至った人の出す成果の方が、より高度でレベルが高いと私は思います。「限界までがんばる」という気合主義よりも、フロー状態を目指す方が全力に近いと思います。本当の全力は楽しい、気持ち良いものなんです。苦しいうちは全力ではないんです。その先にある全力は楽しいということ、ぜひ子どもたちに伝えたいですね。

――フロー状態というのはどのくらいの時間持続するものなのでしょうか。

斎藤 スポーツや外科手術がたとえになっていることからも分かる通り、せいぜい長くて数時間ではないでしょうか。エンドルフィンの分泌に限界があるということなのかもしれません。

 フロー状態になる条件については、昼が出しやすい、夜の方がいい、という時間帯は、個人差が大きいと思います。「結果によって脅かされない」ということの方が条件としては大事ですね。体育会系のしごきは、先ほども言った通り不安を与えます。もちろん不安にも人を動かす力はありますが、不安感によって駆動される力には限界があると思います。不安に動かされる人がいてもそれはそれでいいんですけど、その先があるよ、ということを言いたいです。

「気合主義」の源流

――なぜ日本では体育会系のしごきが横行するのでしょう。

斎藤 日本人は気合を入れることが大好きなんです。日露戦争では白刃を振りかざして敵を奇襲するという戦法がうまくいき、成功体験として定着してしまった。それがかえって、太平洋戦争ではいくつもの悲劇を生んだわけですね。総力戦ですから気合ではどうにもならなかった。しかし気合主義は戦後にも引き継がれ、ブラック企業の()しき伝統を生んだのです。ただ、悪しき、とばかりも言い切れないのは、それが高度経済成長をひっぱったという評価もあるからです。

 気合主義の源流を探ると、日本にはもともと資源がないということが一因にあると思います。資源、石油などのリソースがないところをどう乗り切るか、というときに「大和魂」「気合で乗り切る」という気合主義が生まれる土壌があったのです。

 もう一つは、仏教系の修行文化の伝統として、「体をいじめ抜くと精神がより高まる」という思想があります。これは日本人の勤労の美徳とむすびつきやすいのです。「徹夜して体をこわすほどがんばるとタフになる」とか、逆に「精神を追いつめると体も鍛えられる」とかいう発想はまだ企業にもスポーツ界にもあると思います。

 こういう考え方は日本の体育教育で「もっと気持ちを込めろ」とするスキル軽視、気合重視の指導を生みます。こういう指導方針では体育はとてもつまらない。むしろ、スキルの方が大事。ちょっとしたコツやスキルを教え、やみくもな練習ではなく知的に理解した効率の良い努力でスキルを高めることは非常に重要です。負荷をかけ続ければブレイクスルーが訪れる、という信仰で無意味な練習を行わせることが日本では多かった。それでうまくいった人もいるんでしょうけれど、その陰には脱落していった多くの人がいると思いますね。でも、サッカー界などはかなり変わってきていると思いますね。

――なぜサッカー界は変わったのでしょうか。

斎藤 サッカーは他の競技と違って、青少年が学校の部活動よりもクラブチームなどから始めるケースが多いというところは大きいのではないでしょうか。クラブチームのコーチは合理的に、ダメだしをせずに教えるところが多いようです。しごきをしたら子どもが辞めちゃいますからね。学校から離れたスポーツ文化のため、「不安を与えた方ががんばれる」という勘違いが生まれにくい環境だったのではないかと思います。

 私自身の子どもの頃の話をすると、バイオリンを習っていたのですが、厳しく叱責する教師よりもダメだししない教師に教えてもらった時の方が実力が伸びたという実感があるし、楽しかったという記憶があります。ダメだしはノイズになって気が散ってしまうのでダメなんですね。

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635018 0 お知らせ 2019/06/13 09:56:00 2019/06/13 09:56:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/06/20190612-OYT8I50077-T.jpg?type=thumbnail

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