【俺はググらない】全力を出したあとは、勝っても負けても笑う…北京五輪銀メダリスト・末続慎吾さん

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 今回「全力って何ですか?」というテーマを設定したきっかけになったのは、今年3月、全国の小学生向け新聞の読者が集まったイベント「こども新聞サミット」です。こども新聞サミットの分科会で、「子供はなぜスポーツをするの」という問いの答えを探すため、北京五輪陸上銀メダリストの末続慎吾さんのお話を読者の小学生と記者たちが聞きました。

 ちなみに、最後に質問をしてくれたのは、「こども記者」として参加した小学生たちです。

 スポーツの第一人者が語る「全力」の話、ぜひ読んでみてください。

最初は空手から

 子供の頃、初めてやったスポーツは空手だった。父と母が家からなかなか出ない僕を心配して、強くなるようにという思いで始めさせた。勝負ごとには勝った負けたがあるよね。負けた時に悔しいと感じると、良い意味で気持ちが前向きになったりするでしょ? 僕は空手を始めた頃、これがなかった。負けて、泣いて、帰ってきただけ。でも、何年かやっているうちに「負けて悔しい」って泣き始めたんだって。そのときに、次はこうしたいと思う、それがみんなが言う「強い」っていう気持ちなんです。そうしたことを、空手を通して教えてもらいました。

 陸上と関わるようになったのは小学5年生のとき。学校では足が速いほうだったけど、陸上のクラブがなかった。それで入ったのがサッカー部。でも走れるからサッカー部に入っただけで、そもそもサッカーはそんなに好きじゃなかった。結局、走るのが好き、陸上が好きだった。足が速かったので、サッカー部の先生に、学校外の陸上のクラブに入ったらどうだといわれた。それで陸上競技場に初めて行ったのが小学5年生なんです。

 中学では陸上部はあったけど長距離に重点を置いていて、短距離のコーチがいなかったので、短距離の僕は一人で練習をしていた。でも、一人で走っていると急にさみしくなった。それであまり部活に顔を出さなくなり、中2で幽霊部員になった。ちょっとすねていて先生の言うことを聞かなくなった時期もあった。中学3年になって、他の中学から陸上を知っている先生がきたのがきっかけで、力をつけて熊本市で1番、さらに九州で2番目に速い選手になった。

 高校に入る時、「うちに来てくれ」と2校の高校の先生に誘われた。一人の先生は「僕が必ず強くする」と言い、もう一人は「僕は何も分からないけど、君と一緒に陸上をやりたい」と言ってくれた。「先生もいろいろ勉強するから」と。僕は教えられるほうが一方的に0というのが好きじゃなくて。先生も僕も2人とも0から始める方がいいと思った。だから、2人目の先生を選んだ。その先生には、「特別待遇はしませんよ」とも言われたけれど。自分の意思を尊重してくれたので、僕もすぐ決めた。ふたりで成長していけば「かけ算」になると思った。

負けるのを見られるのが恥ずかしい

 高校1年生の秋、日本一になった。それまでは熊本県で1位か2位だったのが、入学した秋の国体で日本一に「なっちゃった」。そうすると「自分は1番でいなきゃいけない」と思うようになった。「負けるところを見せたくないな」「負けるところを他人に見られるのが恥ずかしいな」と思うようになった。だから、自分が「走りたい」ということじゃなくて、「周りからどう見られるか」ということを基準に出場するレースを選ぶようになった。「この試合では負けるところを見られてしまうかもしれない」と思うと、その試合には出ないとかね。

 これは、先生にものすごく叱られた。「負けることから逃げる」というのは「勝つことからも逃げている」ということ。だから、勝負にならないわけですよね。そういうことを教えてくれる先生だった。勝ち負けが重要なんじゃなくて、勝ち負けにどういう気持ちで臨むかが重要という心を教えてくれました。

 全力でやっていないから、負けると恥ずかしいんだ。自分が全力でできていないことは、自分がよく分かっている。逆に、本当に全力でやりきった時は、自分は恥ずかしくない。周りが何と言おうと本当に100%出し切ったら、恥ずかしいという感情は出てこない。

 高校から大学に行って五輪には3回出た。8年間負けなし。練習でも試合でも、アジアで負けたことがなかった。でも実は、全力を出さなくても勝てる相手が国内にたくさんいたんだ。そうすると、やっぱり恥をかかないようにして、色んなレースから逃げた。その結果、かけっこが遅くなる。それで自分のやりたいと思っていることができなくなる。

 28歳の時に、そんな自分が嫌になった。それまではメダルを取ったり、いろんなことがあったから、ちょっと休もうと思って、それで3年間くらいお休みして、本当に恥ずかしいことってなんなのか、楽しくないことってなんだろうかというのを考えて、自分が全身全霊でできないことが恥ずかしいという結論になった。

レース前の拍手

 レースに復帰したあとは、何番でもいいからひたすら走った。思い出深いのは、銀メダルから9年後の大阪の日本選手権。サニブラウンと一緒にレースを走ることになった。負けるかもしれないレースだけど、僕は出場することにした。9年も()っているから観客はみんな僕のことなんか忘れていると思っていた。でも、みんな覚えていてくれていた。試合前にグラウンドに立ったとき、2万人の観客から拍手をもらったんだ。メダリストが恥を捨ててレースに全力で取り組んできた「見えない経過」を見てくれていたんだと思う。だから走る前に「がんばったね」と拍手をしてくれた。レースの結果はどうだったかって? レースではね、僕はドベ、8人中8着だったよ。

 だけど、全然悔しくなかった。またやりたいなと思った。もうびっくりするほどドベで、でも、最後に笑えたんです。これがスポーツです。最後に笑えるのが僕の思うスポーツ。終わった後に自分に後ろめたい気持ちがなくて、心の底から「あー楽しかった」と思える。この経過でいろんな感情があった、悔しかったり恥ずかしかったり、でも最後に楽しかったなと思えるのが本当のスポーツなんだ。

 スポーツは勝ち負けだけじゃない。それはもちろん、勝ち負けを求めてやるものだけれど、その先には、勝っても負けても「本当に楽しかったな」と思える瞬間が来る。逆に、勝つことだけに答えを求めるのを、「勝利至上主義」といいます。勝つことが全て正しいという価値観。そういう言葉はあるのに、不思議なもので、負けることの価値を測る言葉がない。僕もこれを探している。「負けの価値」ってなんだろうと考えると、負けの中に人の成長があるんです。勝つことも負けることも、どちらも同じくらい価値があること。これを全力でやることが大切。勝ちも負けも含めて楽しいのがスポーツです。

 勝負という世界に自分の人生を置き、勝ったり負けたりしているのが楽しい。陸上競技では、「誰が何秒出した」とかそういうことが重視されるけれど、実は、そういうのは僕はどうでもよくて、かけっこで勝負がつくのが大好き。

 観客も勝つ姿だけじゃなくて、そういうふうに全力を出す姿が見たいんじゃないかな。だからレース前に拍手をもらえたのだと思う。一番大事なのは、「勝利至上主義」ではなく、「勝負至上主義」。これは僕が作った言葉なんだけど、勝つことだけじゃなくて、負けたことにも価値を見いだす、ということ。自分に言い訳をして、戦うことや技を競うことを放棄してはいけない。

 ――五輪では、リレーで走るときに対戦相手のことはどう思っていましたか?

 相手のことを考えるほどレースでは余裕はない。全力で走ってきたバトンを必死に受け取るということだけ。その時に対戦相手を気にしていたらバトンを受け取れないんです。他のことが気になるときは自分に自信がないときかな。だから、そういうときはすごく練習した。

 ――私もスポーツの試合前によく「全力でやれ」って言われます。でも、全力でやるってどういうことですか。

 自分が全力だったかどうかは、レースが終わったときに分かる。やっている最中は全力でやっているつもりでも、後から考えたらそうではないときもある。本当に全力だったか、それを知りたいなら、レース後に一人になることだと思う。一人になって「全力でやれたか」ということを考える。

 ――全力を出したあとにあるものってなんですか。

 笑うよ。悔しいって言う感情をぜんぶ飛び越して、勝っても負けても笑う

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649759 0 お知らせ 2019/06/21 11:35:00 2019/06/21 21:43:41 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/06/20190620-OYT8I50018-T.jpg?type=thumbnail

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