【俺はググらない】大人の立場から繰り返される言葉に反発していた…宇梶剛士さん

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 大人と子どもの関係性、距離感を探っていく今回の企画ですが、どんな人に話を聞けばいいか、記者としてもいろいろ悩んでしまいました。そんなとき、ある人からアドバイスをもらいました。「宇梶さんの話を聞いてみたいなあ」。

 俳優・宇梶剛士さん。高校時代には野球部で将来のエースと期待されたが、暴力事件を起こして退学。一時期は更生施設にも入ったけれど、その後、名優・菅原文太さんの付き人を経て俳優としてデビュー。ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」や映画「お父さんのバックドロップ」「キングダム」などに出演し、活躍を続けています。

 実際にお会いしてみると、コワモテではありますが、優しい雰囲気を持っています。そこには一本筋の通った、57歳の現在に至るまでの人生経験がにじみ出ているような気がしました。そんな宇梶さんが語る「大人」と「子ども」とは…。

――ご自身が10代の頃に大人の言うことをどれくらい聞いていましたか、あるいは大人のどういうところに反発していたでしょうか。
宇梶 大人って、子どもの頃の自分にとっては野球チームの監督とか学校の先生とか親とかのことだけど、自分の前に立ちはだかるもの、立ちふさがるものという印象があった。彼らが自分に何かを言うときの出発点って、もちろん「未熟で発展途上の子どもを導いてあげよう」ということだと思います。でも、学ぶことや考えることをやめてしまった大人に何かを命令されると子どもは嫌な気持ちになるわけですよ。大人であろうと子どもであろうと、学んでいくことを手放したり、人と出会っていくことをやめてしまったりした人というのは、膿んでいく、成長が止まってしまう。そういう大人は、子どもに対して「それはムリ」「やってはダメ」「また今度にしなさい」と言ってくる。それが「なぜダメなのか」「どうしてムリなのか」「なんでまた今度なのか」ということを話してくれない場合が多い。

 もちろん、自分が大人になるってみると、やることが多かったり、責任をとらなきゃいけないことが多かったりして、子どもに説明する時間を持てなかったり省いちゃったりするのかもしれないと思える。でも、子どもの頃はそれがまるで分からないからね。だから大人は自分のやりたいこと、やろうとすることをなんでも「ダメ」とか「ムリ」だとか言ってさせてくれない、先延ばしにする、そういう存在だった。その向こうに愛情がある、大人の責任がある、というのも子どもの頃には分からない。親だから、大人が言っているから、っていうことで、従っていただけでね。

 昔は子どもは親の言うことを聞かないとぶたれて言うこと聞かされていた。叩かれたり怒鳴られたりすれば、心を閉ざしたり、はねかえそうとしたりするよね、人間だから。俺なんかは反発に向ったけど、心を閉ざしちゃう子どもの方が多いんじゃないですかね。今なら。

――更生施設で読んだチャップリンの伝記が、それまでの自分の生活を変えさせ、俳優への道を志すようになったと聞いています。チャップリンの言葉は、宇梶さんにとって、反発心を抱かせるほかの大人の言葉とは何が違ったのでしょうか
宇梶 チャップリンは自伝で、「自分は右でも左でもない、平和を愛しているんだ」っていうような意味のことを言っているんです。それが自分の胸にしみこんだ。何がしみこんだか考えると、「右でも左でもない」というのが、「大事なのは立場じゃないんだ、思いなんだ」と僕は受け取った。それは、「子どもだから」「子どものくせに」という大人の立場から繰り返される言葉に対し反発していた自分にとっては、胸にしみたんですよね。

 【※編集室注 『チャップリン自伝 栄光と波瀾の日々』(チャールズ・チャップリン著、中里京子訳)には、チャップリンの電報の中の言葉として、「わたしは共産主義者ではないし、政党や政治的組織に属したことも一切ありません。わたしは、いわゆる“平和屋”にすぎないのです。」という一節が紹介されています】

 それで、自分は「サイドにつかない」「立場でものを見ない」って思うようになった。僕はこう考えたんです。誰でも自分の目線で世界を見ている、生きるってことは自分から見える世界の中心に立っているということですよね。世界を見てみると、右とか左とか上とか下とか、金持ってるとか持ってないとか、背が高いとか低いとか、外見が美しいとか醜いとか、そういう価値観の輪の中にいるんです。その「真ん中」ってどこなんだろうと意識してみると、自分の立っているまさに「そこ」こそが、台風の目みたいに風が吹いていないところなんじゃないかと思ったんですよ。それはかなり若いときに考えたことだけど、自分の考えのおおもとになっていると思う。

 たとえば、人間はお金を持つと調子にのっちゃうし、お金がないとしゅんとしちゃう。そういうものに振り回されずに、その「真ん中」はどこだと考えることが、今の自分を見つめることになるんじゃないか。自分が分からないから、うろたえたり、徘徊したり、群れたり、逆に孤立したり、いじけたりするわけでしょ。だけど自分というものを理解していくことができれば、自然体で社会の中に立てるんじゃないかな、と思う。…ごめんね、子ども向けじゃない話になっちゃって。

――いえ、とても大事なところだと思います。それが実際に会った大人からではなく、チャップリンの言葉から気づいたというところも含めて、とても興味深いです。そのチャップリンのお話のほかに、自分の人生観に響くような大人の言葉ってありましたか。
宇梶 昔、おじに言われたんだけど、「人間って、自分がうらやましいと思っていたり、勝てないと思っていたりする人間の悪口しか言わない」んだって。自分が「勝てない」とか「あいついいなあ」とか「ラクしてもうけて」とか「ちやほやされて」とか思っている相手の悪口しか言わないんだって言われてね。そう言われたら悔しくて、悪口が言えなくなる。なぜなら、悪口を言うと相手のことをうらやましいと思っているんだと認めることになってしまうからね。

 悪口って何で言うかって言うと、はき出してすっきりするためなんだよ。げっぷと一緒で。悪口言ってはき出してスッキリするために言っているのに、悔しいから言えなくなる。すると、【腹を指さしながら】ここにためこんでおかないといけなくなる。で、苦しくなってくるの、ぱんぱんになって。悪口をずーっと言わないでおいている間に、ぱんぱんで破裂しそうになったお腹の「革袋」が、伸びるんだよね。だけど、そういうささいなこと、つまらないこと、考えてもらちがあかないこと、解決しないことって、時が解決してくれる。ぱんぱんになっていた中身がどっかに霧散していく、もしくは消化されていく。残ったのは以前よりもちょっと広がった懐ってことになる。

 だからそのおじさんの言葉の意味っていうのは、自分にとっては非常に大きい。すっごくむかついて、すっごくいやだったけど、すっごく大きな言葉だったんですよね。

――どういうタイミングで言われたんですか
宇梶 30過ぎまでおじの工事現場で働いてたんだ。役者で食えないから。20代の時に、仕事に対して「こんなもの意味がねえ、俺はこれをやりたくてやってるんじゃねえ」「おれはこんなところにいる人間じゃない」って思って、悪口を言っていた。それを、「こんなところ」で思っている、っていうことに気づきもせずにね。つまり自分の足もとが見えていないんだ。自分を大きく見せようとして他者に対して否定的なことを言っていた。そうしたら、おじに「おい、人間っていうのはな、勝てないと思ってるやつとかうらやましいと思っているやつの悪口しか言わねえんだ、はっはっは」って言われて。

 次から「あんなのさ」って悪口を言おうとすると、「あいつうらやましいと思ってる」と思われるのがいやで言えなくなっちゃった。そうすると、言わないうちに少しずつ心が静まっていく。それで懐が広がっていったのかなと、今振り返るとそういうふうに思うけどね。

――おじさんナイスですね。大人に対する反発が強かったというお話ですが、自分が大人になって子育てをするときにはどんなことに気をつけていたのでしょうか。
宇梶 子どもって何より大切じゃないですか。自分の子どもには、「ダメ」とか「ムリ」という言葉を使わずに徹底的に話し合う方針。「どうしてそう思うんだ」と聞いて、どんどんどんどん掘り下げていく。

 たとえば子どもから「ゲームがほしい」と言われる。「どうしてゲームがほしいんだ」「ほしいから」「なんでだ」「みんなやってるから」「みんなって誰だ」って、問いかけながら子どもに言わせていく。そこで、子どもが考える。1時間とか2時間かけて話し合うんです。話し合った末に子どもが「ゲームより大切なことがある」って分かっても、子どもの方も意地になって、「でもどうしてもやりたい」ってことになる。そしたら、俺は「後はお前が決めなさいよ」と。「ただ俺はかなしい」って言った。「俺、お前がゲームやっているところを見たらすっごく悲しいと思うから、あんまり見せないでほしいな」みたいなことを言った。だから、子どもは俺の前ではゲームをやらない。他ではやってるようだけど、それでいい、場の意識が芽生えるから。

 でもちょっと思うことがある。俺は家族に不平不満とか仕事の愚痴を言ったことがないわけ。暴力もふるったことはない。それは俺が親を反面教師にしている。ところが育てていく過程でふと考えたんですよ。「じゃあうちの子どもはどこで暴力について学ぶのか」「どこでそれを意識するのか」ってね。俺は酒を飲んで不平不満は言わないけど、オヤジがそうしてくれたおかげで、俺はそうするまいと思えたわけです。人間って、教わらないとできない。あいさつがそうでしょう。あいさつできないと、「あいさつできないやつ」って必ず悪口を言われるでしょ?そうすると言われた方も「なんだよ」ってどんどん心を閉ざしていっちゃうじゃないですか。でもあいさつができないだけで、悪気があるわけじゃないんだ。

 「愚痴を言わない」とか「相手を否定しない」とか、自分の子どもや後輩にそう接していても、「なぜ俺がそうしているのか」が分からないと学んだことにならない。だから、「ない」ことがすなわち「いい」わけじゃない。「ないというものを得る」「ないというものがあるんだ」ということを意識してもらわないといけない。もっと平たく言えば、暴力も不平不満も「知っているけどやらない」というふうにならないといけない。

 そのためにはやっぱり説明しないといけないですよね。「それをしろ」とか、「これはするな」とかも、大人が説明すれば子どもも分かるんだけど、最初に言ったとおり、その時間は省かれることが多い。だから大人は子どもから見て単なる「壁」、つまり「自分のやりたいことを阻止し、たちはだかるもの」になってしまいがちなんだ。もちろんそうではない家庭もあるんでしょうけどね。

――大人と子どもがどう向き合うか、というのはとても重要ですよね。これまでのお話を踏まえて、「どうして大人は子どもに言うことを聞けと言うのか」という子どもからの問いに、宇梶さんならどう回答しますか。
宇梶 それはね、子ども向けの新聞に合うような答えって、俺には答えられないと思うんだよね。分析することはできる。「良い場合」と「ダメな場合」があって、「良い場合」は、大人が良い方に導こうとしている、ということだよね。「ダメな場合」は、自分がつきあえないから、あるいは許容量がない、面倒くさい、他の人が良くないって言った、というところかな。それくらいのことで大人は「言うことを聞け」って言っているんだと思うな。

 なんでも「ダメ」とか「ムリ」とか言う大人って、子どもの頃から今でも、くだらない生き物だとしか思ってない。そこのところは子どもの頃からずっと考えが変わっていない。考えがかたまっちゃっている大人はくだらないよ。自分の知っているものしか答えがないと思っているから、そこから外れることをしようとしている子どもに「ダメ」って言うわけでしょ。でもあんまり子どもに対して「大人はダメだ」と言うのも、新聞に載せる答えとしてはどうかな、と思うんだ。

 ただ、そういう事態を回避する答えって、ひとつしかない。自分がそういう大人にならない、ってことだな。

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887808 0 お知らせ 2019/11/08 12:01:00 2019/11/08 12:01:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/11/20191107-OYT8I50065-T.jpg?type=thumbnail

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