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障害乗り越え あこがれの職業へ

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 1月14日号の読売KODOMO新聞では、耳が聞こえないという障害を持ちながらも、様々な分野で活躍するプロフェッショナルを紹介しました。それぞれ自分のあこがれの職業につくまでの道のりは、決して平坦ではありませんでした。3人の話を詳しく紹介します。

手話通訳士と二人三脚(弁護士・若林亮さん)

 「若林先生、お電話です」。その声に反応したのは、手話通訳士の遠藤友侑子さんです。遠藤さんは素早くヘッドセットを装着し、横にいる若林さんの方に体を向けます。

 遠藤さんは「はい、弁護士の若林です」と電話に応対し、相談者が話している内容を瞬時に手話にして若林さんに伝えます。若林さんが手話で答えると、遠藤さんはその手話を読み取り、相談者へ――。会話は途切れることなく続きます。

 生まれつき耳が聞こえない若林さんが弁護士を夢見始めたのは、小学生の時。同じく聴覚障害のある人が弁護士を目指しているという新聞記事を読んだからです。「聞こえなくても弁護士になろうとしている人がいるなんて!」。その時は驚くばかりでしたが、その後、その人が実際に弁護士になったことを知ると、夢はふくらみました。

 司法試験のハードルは高く、一時は夢をあきらめ、新聞社で校閲記者として働いた若林さんですが、一度ふくらんだ夢を捨てることはできませんでした。32歳の時に新聞社を退職すると、上智大学法科大学院に入学。講義では、教授や他の学生の発言を文字に起こす学内ボランティア「ノートテイカー」がついてくれ、若林さんをサポートしてくれたそうです。

 3年後、無事司法試験に合格。法テラスの弁護士として働き始めることになった若林さんでしたが、実際に弁護をするとなると、依頼者の電話相談を受けたり、法廷で主張を述べたりしないといけません。そこで、法テラスは、若林さんの雇用と同時に手話通訳士の遠藤さんを専属の手話通訳として採用。「こんな配慮をされるとは思ってなかった。本当にありがたい」と若林さんは話します。

 今では遠藤さんとの息はぴったり合うように。遠藤さんは、電話先の相手がどんな気持ちでいるのかを泣き顔や笑顔など、表情にして伝えてくれます。若林さんは「遠藤さんは、ただ相手の言葉を手話にするだけでなく、『気持ち』を伝えてくれる。感謝しかない」と話します。

 若林さんは今、弁護士として困っている人を助けることだけでなく、遠藤さんのような手話通訳士の仕事への理解が広がってほしいと考えています。「どんな職場でも、聴覚障害者と手話通訳士がペアで働くことが当たり前の世の中になってほしい」。

バス運転士の道を切りひらく(東京バス運転士・松山建也さん)

 松山さんは2017年に日本初のろうのバス運転士になりました。バス運転士になるのは小学生の時からの夢。「路線バスがカーブするときのなめらかなハンドルさばきに、子どもながら見ほれたんです」とはにかみます。でも、当時の法律(道路交通法)では、たとえ補聴器をつけて一定の聴力があっても、ろうの人がバスやタクシーなど、お客さんを運ぶ第二種免許をとることはできませんでした。

 ろう学校を卒業した松山さんが選んだのは、トラックの運転手でした。松山さんは、話し言葉が文字になるソフトやSNSなどを使って、コミュニケーションの取り方を工夫。1年間無事故・無違反で勤務を続けました。これをきっかけにその会社は「ろう者でも安全に運転ができる」と、ろう者のトラック運転手を次々と採用したそうです。

 転機は2016年。道路交通法が改正され、補聴器をつけて一定の音が聞こえれば第二種免許がとれることになったのです。「休日にマイクロバスを運転して友人たちを旅行に連れて行ったとき、『運転がすごく上手』とほめられたことがうれしくて、やっぱりバスの運転手になりたいという気持ちがムクムクわいてきました」と松山さんは振り返ります。

 しかし、免許を取っても、就職先はなかなか見つかりません。気落ちしていたところ、ある会社から「松山君の夢をかなえたい」と連絡が入りました。松山さんが今、働く東京バスでした。同社は一度は面接で松山さんの採用を見送りましたが、筆談ボードや音声変換ソフトなどを見せて、コミュニケーションは十分取れると必死に訴えた松山さんの姿に心が動いたといいます。

 ただ、同社の社員からは「本当に大丈夫か」と不安の声も聞かれました。そこで、正式に運転士として働く前に、同社の社員旅行でバスの運転を担当することに。「運転は問

題なし。すごくスムーズだ」。同乗したベテラン運転士から太鼓判を押してもらえた松山さんはようやくバス運転士としてのスタートを切ることができたのです。

 松山さんは、空港に向かうリムジンバス担当として運手士デビューを果たし、今では夜行バスの運転も任されています。無線を使った会社とのやりとりは、同乗する交代運転手が担当し、運転中の松山さんにカードを使って内容を伝えたり、休憩のタイミングや到着時刻をモニターに表示するようにしたりと、安全に快適にお客さんを運べるよう、様々な工夫をこらします。

 松山さんが今目指しているのは「観光バスの運転士」。「観光バスというと、バスガイドによる音声でのガイドが中心なので、ろう者はあまりバスツアーに行きません。だから私がろう者のためのバスツアーをたくさん企画したいんです」と語ってくれました。

どんぶりの底に「ありがとう」(ラーメン店店長・毛塚和義さん)

 ラーメン店に入ると「いらっしゃい!」なんて、威勢のいい声で迎えられるイメージの人もいるかもしれませんが、東京・西日暮里にある「麺屋 義」の扉を開いて聞こえてくるのは、大きなずんどうでお湯がグツグツ煮えたぎる音だけです。

 店長の毛塚和義さんが店を開いたのは2016年。それまでは、自分でつくったろう者によるプロレス団体でプロレスラーをしていましたが、一念発起してラーメン職人になるための塾に通い、夢だった「自分の店」を持ちました。

 入り口で食券を買ったお客さんが席に座ると、毛塚さんや同じくろう者のスタッフが券をもらいにいき、調理開始。タイマーをセットして麺をゆで始めます。ただ、タイマー

の音は聞こえないので、気は抜けません。麺を手際よく湯切りすると、店員と手話でやりとりしながら、盛りつけをしていきます。

 実は毛塚さんのラーメンは、食べ終わった後にも楽しめます。スープを飲み干すと、どんぶりの底には「ありがとう」の手話が書いてあります。お客さんから「手話でありがとうはどうやるの?」と聞かれたことをきっかけに、オリジナルのどんぶりを発注。帰る前に「ありがとう」と手話で伝えてくれるお客さんも増えたそうです。昨年からは細かい注文にもスムーズに答えられるように、「麺かため」「ネギ抜き」などと書いた木札を食券機に設置するなど、工夫を続けています。

 ろう者のプロレス団体設立にラーメン店の店長という異色の経歴を持つ毛塚さん。「好きなことをするためにどうすればいいのか、解決方法を模索しづけること」をいつも考えているのだそう。ラーメン職人になるための塾には、最初は入塾を断られました。けれども手話通訳士を連れて行って説得し、授業後には先生をつかまえて筆談で質問攻めに。

 書きためたノートは3万ページにもなりました。理想のラーメンを求めて日々研究も繰り返し、あまりに熱中するあまりに体を壊したこともあるほどだったといいます。

 「プロレス団体をたちあげるときも、ラーメン店を開くときも、いつも誰かが助けてくれたのは、『やりたい』とアピールしていたからだと思う。聞こえないから難しいと思ってもあきらめずに声をあげて、周りを巻き込んでいってほしい」

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1815317 0 お知らせ 2021/02/02 15:41:00 2021/02/02 16:25:52 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/01/20210118-OYT8I50097-T.jpg?type=thumbnail

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