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    中学受験のプロ講師たち「マナビレンジャー」がアドバイスするコーナーです。

    甲子園に学ぶ、熾烈な場に子を送り出す親の心得…後藤卓也

    「巨人殺し」ってなに?

    • 親にも受験させる覚悟が必要(画像はイメージです)
      親にも受験させる覚悟が必要(画像はイメージです)

     みなさんは「ジャイキリ」ということばをご存じですか?

     「ジャイキリ」=「ジャイアント・キリング(巨人殺し)」とは、「弱い者が強い者を倒すこと」、いわゆる「下克上」とか「番狂わせ」を意味することばで、サッカーの世界でよく使われているようです(同名の人気サッカーマンガも存在します)。

     今年の高校野球、夏の甲子園大会予選ではジャイキリが頻発したそうです。高校野球におけるジャイアント・キリングとは、単に弱いチームが強いチームに勝つことではなく、「無名の公立高が私立強豪校を破ること」。つまりそれだけ圧倒的に「私立が強い」のです。

    なぜ「私立」がそんなに強いのか?

     1950年代には、甲子園出場校のうち私立高校は20~30%だったのが、「平成」に時代が変わる頃に50%を超え、最近は80%以上が私立。今年、公立の出場校は56校中8校に過ぎません。(松谷創一郎『「プロ部活のための夏の甲子園」--ますます空洞化する「教育の一環」』https://news.yahoo.co.jp/byline/soichiromatsutani/20170806-00074196/

     これは決して野球だけの話ではないのですが、「放送局」と「新聞社」がバックについている甲子園大会は格別。まさに「国民的行事」ですから、学校の知名度を上げ、生徒数を増やしたい私立高校にとって、これ以上はない「宣伝道具」です。

     「強くして校名を全国にとどろかせたい」という学校側の思惑と、「強くなってプロへの道を」という野球少年の思いが一致して、多くの「プロ野球選手の卵」が「野球留学」をするようになりました。人数制限はあるにせよ、実力があれば「野球特待生」として入学することもできます。

     逆に公立校の部活にはいろいろな制限があります。例えば今年4月から神奈川県の県立高校は、「スポーツ庁」が提示した「ガイドライン」に従い、「平均週2日以上の休日」が義務づけられました。1951年以来甲子園に出場していない神奈川の県立高校(全国の県立高校でのワースト記録更新中)にとっては重い足かせです。

    「私立弱体化」の兆し?

     そんな状況下で、結果的には8校しか出場できなかったとはいえ、確かに公立校による「ジャイキリ」は少なくなかった。それはなぜなのでしょうか。

     あるスポーツライターは「高校No.1投手」である直江大輔投手を擁する「大本命」松商学園が、公立の無名校である岡谷南高に地区予選準々決勝で敗れた試合を振り返り、ある公立高校の野球指導者の発言を引用しています。

     いわく、かつての私立強豪校の選手は「おそろしいほどの練習量を強制され、それを乗り越えてきた『兵士的な強さ』があった。『こいつらに勝てるわけがない』という威圧感に圧倒された。それが価値観の変化のなかで失われていき、私立も公立もみんな同じような『ツルッとした』顔の選手ばかりになった」と。(安倍昌彦『高校野球の私立弱体化と、ある見解』http://number.bunshun.jp/articles/-/831450

     それが事実なのかどうか、私にはわかりませんが、なんとなく「ストン」と()に落ちる思いがしたのは、ふだんの受験指導でも同じようなことを感じていたからだと思います。

    受験の世界における「価値観の変化」

     「受験」の世界において、「私立全盛」はさらに時代を先取りしていました。

     1967年まで「東大合格者数ベスト10」のなかで私立は灘と麻布の2校のみ。残りは国立大付属2校と都立高校6校でした。しかし都立高間の学校間格差を緩和させるための「学校群制度」導入や「ゆとり教育」などの影響で、都立高の進学実績は下降し、1994年以降、国立大付属校以外は私立がベスト10を独占しています。国立大付属校も中学入試を実施しているため、事実上「中高一貫校による寡占状態」が続いているのです。

     35年前、私がはじめて中学受験の世界に足を踏み入れた頃はまだ、中学受験を志すのはごく一握りの優秀生と医者の子弟ばかりでした。まだようやくワープロが登場したばかりの頃。入試問題を貼りつけただけの教材しかないかわりに、夜11時過ぎまで「居残り授業」なんて当たり前。「兵士的な強さ」とまではいわないとしても、難関校を目指し、進学していく生徒たちには「(すご)み」があった。いや、生徒ではなく親の側に「覚悟」があったような気がします。

     ふつうの小学生とは違う特別なことをやらせている。親も子も大きな負担とリスクを背負うのは当然。その分、塾には「結果」を求め、合格すれば、しかるべき形での「御礼」もありました。そうした意識は、今では希薄になりました。

     少子化による中学受験者の減少が中堅以下の学校の門戸を広げ、日本の初等教育における学級崩壊や学力低下などの社会問題は、いつしか私立を下手の立場に立たせました。よい生徒は「入れてやる」から、「入ってもらう」に変わったのです。

     そして公立一貫校の登場により、中学受験が「大衆化」し、いつしか量的変化は質的変化を引き起こし、価値観の転換を促しました。

     「昔はよかった」的な話をするつもりはありません。あれは「間違った指導だった」と、今では思っています。

    親に必要な受験させる「覚悟」

     暑い中、成績の優劣にかかわらず、子どもたちみんな「塾大好き」といって、毎日通ってくれます。彼らの笑顔は私たちにとっての宝物です。ただ、幼い我が子を塾に通わせ、受験勉強をさせるには、いろんなリスクが伴うということを「覚悟」している保護者がごく少数であることには「危機感」を感じています。

     最低限の学習習慣も身についていないのに、「ウチの子は褒めれば伸びるタイプですから」と平気で語る若い父親。「アイドルのグッズを買ってくれなければ勉強しない」というのですが、どう対応すればいいでしょうかという相談のメール。「絶対に失敗させたくないんです」(でも志望校は下げない)と、個人面談で涙を浮かべる優しいママ。

     失敗したからといって、その子の将来が閉ざされるわけではありません。ただ、我が子をいつまでも懐のなかに囲い込もうとする限り、その子の「成長」は望めない。「宿題が終わらないから行きたくない」と泣いているなら、「ちゃんと怒られてきなさい」と送り出す。「失敗させたくない」ではなく「次でリベンジしなさい」と活を入れる。それが「甲子園」や「中学受験」という場に我が子を送り出す親の務めであり覚悟だと思うのです。

    「挑戦できる」ことに感謝の気持ち

     毎日夜遅くまで塾で勉強する我が子の姿を、つい「かわいそう」と思い、わがままを許したり多額の小遣いを渡したりしてしまうパパやママ。私も元「受験生の親」として、その気持ちは痛いほどわかります。でも本当に「かわいそう」なら受験なんかやめてしまえばいい。

     塾で勉強させてもらえる、受験にチャレンジできる、そして合格すれば希望する中高一貫校に通わせてもらえる。小学校にすら通えない子どもたちが世界中で何千万人もいるなかで、それがどれだけ恵まれたことなのか。そのことに対する感謝の気持ちを忘れないように、私たちも日々指導していきます。

    2018年08月20日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
    
    プロフィル
    後藤卓也  (ごとう・たくや
    啓明舎塾長。1959年愛知県生まれ。東京大学教育学部博士課程修了。84年の啓明舎設立当初から時間講師として勤務。2年間の西ベルリン(当時)留学経験の後、再び啓明舎へ。94年から塾長。主な著書に『大人のための「超」計算トレーニング』『大人のための「超」計算 正しく速くカッコよく解く!』 (すばる舎)、『小学生が解けて大人が解けない算数』 (dZero社)、『大人もハマる算数 』(すばる舎)、『秘伝の算数』(全3冊、東京出版)、『新しい教養のための理科』(全4冊、誠文堂新光社)など。
     
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