[スクールデイズ]ネパールの学校で漫画英訳…小説家 冲方丁さん

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横山就平撮影
横山就平撮影

 父がプラント会社に勤めていたため、シンガポール、千葉、ネパールなど小学校だけで6回転校しました。子供の頃は体で経験する遊びが大好きで、川があれば飛び込み、高いものはよじ登る。いつもけがだらけでした。

 ネパールには10歳から14歳まで住みました。日本人は現地では超富裕層だから、4階建ての宮殿のような家に、住み込みのお手伝いさんや庭師がいました。道行く子供の大半は、学校にも行けず朝から働いていたので、視線が痛かったですね。

 通っていたインターナショナルスクールには、王族や大使の息子をはじめ、様々な人種、国籍の子供がいました。ディベートの授業では、背景や文化がバラバラだから、まず共通の土台から探さないと対話にならない。仲良く話していた欧米の子が、僕が触ったドアノブをハンカチで拭いてから触るなど、人種間のあつれきも何となく感じました。

 ちょうど日本のアニメや漫画が海外ではやり始めた時期で、ビデオや雑誌を取り寄せたお金持ちの子供たちに、英訳を頼まれました。でも、訳せば訳すほど質問が返ってくる。「(アニメの主人公の)ナウシカはキリスト教徒か」「(漫画の)AKIRAってどんな意味だ」とか。面倒なので、あらかじめ創作を入れて小説形式で説明してしまいました。そんな経験が、僕の創作活動の原点です。

 中学2年で帰国すると、周りの子とずいぶん違っていました。たとえば起立、礼、着席に従わない。毎朝毎朝、どうして立つのか分からないから。僕に常識を教える係の子が一日中ついたこともありました。高校では映像や音楽など様々な表現を楽しむうち、文章が自分に合っていると分かり、在学中に書いた小説でデビューしました。

 海外暮らしで学んだのは、言葉はたくさんの誤解を生むけれど、たくさんの理解も生むということ。誤解から創造力や可能性が生まれることもある。言葉を職業にしたことで、一生飽きないだろうと思っています。(聞き手・横山航)

         ◇

 うぶかた・とう 1977年、岐阜県生まれ。96年にデビューし、2003年に「マルドゥック・スクランブル」で日本SF大賞、10年に「天地明察」で本屋大賞を受賞した。直木賞候補作の「十二人の死にたい子どもたち」は映画化され、現在公開中。

433471 1 教育 2019/02/07 05:00:00 2019/02/07 05:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/02/20190206-OYT8I50054-T.jpg?type=thumbnail

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