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[恩師のコトバ]自分で考えろ…壁の乗り越え方、40歳まで現役の原動力に

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中村憲剛さん 40 サッカー元日本代表

インタビューに答える中村憲剛さん
インタビューに答える中村憲剛さん

 今の自分を語る上で欠かせない恩師の一人が、東京都立久留米高校(現・東久留米総合高校)のサッカー部監督でクラス担任でもあった山口隆文さんです。先生からは自分が変わるきっかけをもらいました。

 小学生の頃は全国大会にも出る東京都府中市の強豪クラブチームでサッカーを楽しみ、中学生で市内の新設チームに入りました。でも中学になると身長が伸びず、できていたことができなくなり、つまらなくなってやめました。半年後に入った中学の部活でも専門的な指導を受けられませんでした。高校進学にあたり、もう一回サッカーを全力でやりたいと思い、入ったのが久留米高校でした。

うまくいかないことを周囲や環境のせいに

 山口先生は当時、日本サッカー協会の仕事もしていました。最先端の育成プログラムをそのまま高校の練習に落とし込んでくれ、一転、最新のサッカーを学べる環境となりました。担任でもあったので気兼ねなく、「この時はどうすればいいですか」と、どんどん聞いていました。そうしたらうっとうしくなったんでしょうね。「自分で考えろ」と。1年生の5月頃だったと思います。

 入学した時の身長は154センチと小さかった。ボールを扱う技術には自信がありましたが、敵が近くにいるとつぶされてしまいます。どうやったらいいか先生に答えをすぐに求めていました。それだと良くないと思ったんでしょう。何でもかんでも人に聞くんじゃない、と。

 中学の時は小さくてうまくいかないことを周りの選手や環境のせいにしていました。一度サッカーをやめて一人でボールを蹴っていた半年間、チームに所属しなかったことでサッカーへの熱い思いが湧き上がり、高校に入ったらそういうのはやめようと。小さくて身体能力が低いからこそ、どうやってプレーするかという考え方に変わりました。

 「考えろ」と言われてやった3年間の集大成が3年生の都大会準決勝です。相手は名門の帝京高校で、試合前はこてんぱんにやられると思っていました。結局負けて引退するのですが、その後全国準優勝した相手に思った以上に自分のプレーができて自信になり、大学でサッカーにチャレンジしたいと思ったんです。

どうすれば個性発揮できるか、オシム氏の教えにも合致

現役時代の中村さん(2020年11月18日、等々力陸上競技場で行われた横浜M戦で)
現役時代の中村さん(2020年11月18日、等々力陸上競技場で行われた横浜M戦で)

 大学、プロでもどうすればチームになじんで自分の個性を発揮できるかを考えていきました。日本代表に引き上げてくれた(元監督の)オシムさんも「考えて走るサッカー」を掲げていて合致しました。世代別の日本代表になったこともなく、劣等感がありましたが、自分の道のりを肯定してもらった感じがすごくありましたね。

 考えてプレーしてきたからこそ、40歳まで、しかもこの体のサイズや身体能力で、J1のトップのチームでやり続けられたと思います。その壁の乗り越え方を習得できたのは、先生の一言がきっかけです。自分がネガティブに思っているものをネガティブにとらえるか、ポジティブにとらえるかで人生は変わります。今は試合の解説や普及活動のほか、年代別日本代表や川崎で育成のサポートをしていますが、若い人たちに自分の経験を話していきたいですね。(聞き手・名倉透浩)

 中村憲剛(なかむら・けんご)1980年、東京都生まれ。2003年に川崎フロンターレに入団。MFとして卓越した足元の技術とパスセンスを武器に川崎で18年間活躍し、今年1月に引退した。日本代表では10年ワールドカップ南アフリカ大会に出場。現在はサッカーの普及・育成活動に取り組む。

タイミングが合ったのかな

山口隆文さん 63 現JFAアカデミー福島女子統括ダイレクター、同女子U―18監督
 小さくてきゃしゃというのが最初の印象です。体の大きな選手たちと一緒にやるのは「怖い」と言っていたこともありました。ただ、ボール扱いはうまく、ドリブルが巧みなのが特徴でした。

山口隆文さん(日本サッカー協会提供)
山口隆文さん(日本サッカー協会提供)

 僕が担任だったこともあり気軽に色んなことを聞いてくる中で、「自分で考えろ」と言いました。自分で考えられるレベルの子だからそう言ったんだろうと思います。スポンジが水を吸収するように、たまたま憲剛が欲していた時にその言葉がすーっと入っていったのでは。タイミングが合ったのかなと思います。

 中学時代は彼が望むサッカー環境に身を置くことができずに、少しサッカーを休んだことが逆に良かった。サッカーがやりたくてしようがないということで高校に入ってきたので、3年間でぐっと伸びたんだと思います。

 40歳までやれたのはすごいことです。頭の賢さとテクニックさえあれば、生き残れるというのはすごく思いました。まだ選手としてやれたと思いますが、川崎だけで終えるのは憲剛らしいやめ方。まずは「ご苦労さん、よく頑張ったね」と言いたい。

 そして指導者になってサッカーの素晴らしさを子供たちに伝えていってほしい。サラブレッドでなく、コツコツ積み上げてきた人間だからこそ伝えられることがある。日本代表の監督を目指してもらいたいと思っています。

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2077541 0 教育 2021/05/26 11:00:00 2021/06/10 09:50:08 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/05/20210525-OYT8I50056-T.jpg?type=thumbnail

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