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松岡修造さん 54 元プロテニス選手
僕が周りから「熱い」「前向き」と言われるメンタルの部分は、恩師のボブ・ブレットさん(故人)から教えてもらったことです。テニスの世界トップ選手を何人も作り上げてきたコーチです。彼が最も大事にしていたのは「チャレンジ」という言葉。彼と出会わなければ、プロになる選択をしていなかったと思います。

初めて個人的に指導を受けたのは18歳の時。ボブが来日する機会があり、テニスを15分だけ教えてくれました。とにかく一球一球すべてのボールを必死に打ち返し、まさに世界の指導を体感した貴重な時間になりました。
練習後、ボブから言われたのは「チャレンジし続けろ」という一言だけ。具体的な話はなく、彼はツアーに戻っていきました。するとボブから電話がかかってきました。「シューゾー、アメリカでチャレンジしてみないか」。当時は海外の試合に出るため、柳川高校(福岡県)を休学中で、柳川に戻るつもりでしたが、両親を説得し、米国にテニス留学しました。
諦めることが大嫌い、僕のマインドも前向きに
高校に通いながらボブに時折、練習を見てもらいました。まだその時はプロになるつもりはなく、大学への進学を考えていた頃、一番小さなプロの大会で予選を勝ち上がり、本選に出場できました。すると今度は「プロにチャレンジしてみないか」と。その一言でプロの道に挑戦しました。
彼の指導するチームに入り、一緒に練習し、ボブと試合を見て、世界のトップを経験させてもらいました。当時は日本の選手が世界100位に行くことが夢だった時代。グランドスラムなどを体感させてくれたことで自分の意識も高くなりました。
彼は諦めることが大嫌いな人。自分を超える、困難なものに挑んでいくことが好きでした。僕のマインドもどんどん前向きになっていきました。
亡くなる直前にも「ラケットを持ってこい」

選手とコーチの関係は2年ぐらい。現役を退いた後、ジュニア強化プロジェクト「修造チャレンジ」で、ジュニアの育成・強化を始めました。ボブに「年1回でもいいから来てくれないか」とお願いし、関係が何十倍も厚くなっていきました。
ボブは技術的な部分はもちろんですが、ジュニア選手の心の声を聞くためにとにかく問いかけることが多かったんです。世界では自分を表現しないといけない。僕もそうだったように、自立心、決断力、表現力を養ってくれました。
昨年1月に病気で亡くなる1か月ほど前、オンラインで話をしました。「シューゾー、ラケットを持って来い」と言われ、出会った頃のように僕の素振りを見て指導してくれました。「とにかくチャレンジだ」と満面の笑みで、最後まで前向きでした。
僕らが見てきたジュニアの中にはプロにならなかった子もたくさんいます。それぞれの仕事で成功している姿を見て、「チャレンジできているか」というボブの思いが伝わっていると感じます。これからもボブの思いをつなげていきたいと思います。(聞き手・名倉透浩)
松岡修造 (まつおか・しゅうぞう)東京都出身。テニスの四大大会の一つ、ウィンブルドン選手権(英国)で1995年にベスト8。現在は全国トップのジュニア選手を指導する「修造チャレンジ」で育成・強化に力を注いでおり、ボブさんの教えも含めた「世界にチャレンジ!」(ベースボール・マガジン社)を昨春刊行した。日本テニス協会強化本部副本部長。
師弟関係なのに友達のよう
桜井準人(はやと)さん 59 日本テニス協会ナショナルチーム男子ジュニアヘッドコーチ

松岡君の選手時代にコーチとして一緒に大会を回った経緯があり、「修造チャレンジ」3年目の2000年からスタッフとしてかかわるようになりました。2人がジュニアの将来を語り合いながら、理解しやすいように言葉を選んで教えていたことが印象的です。ボブはいつも松岡君との時間を楽しんでいて、師弟関係なのに友達のようでもありました。

ボブの指導は厳しさと優しさの両面がありました。選手の能力を見据え、正しく育つように根気強く待つ一方、成長が必要な時は甘やかしません。怖くもあり、愛情深い人でした。学んだ精神を生かし、子供たちの可能性を広げていければと思います。