副島淳さん、いじめられ「何で産んだんだ」閉ざした心をバスケが救う…STOP自殺 #しんどい君へ
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新型コロナウイルスの感染拡大による影響で、今年は学校が休校し、始業は遅れ、学校行事も延期や中止になり、多くの学校で夏休みが大幅に短縮される。未成年の自殺者も3年連続で増えるなか、身の回りの変化に
#しんどい君へ…タレント 副島淳さん(35)

日本で生まれ育ちましたが、この容姿で悩んだことが2度ありました。
最初は、東京から千葉へ転校した小4の頃。肌の色や縮れ毛が受け入れられず、からかわれました。父はアメリカ人ですが、会うこともなく他界しました。大人になるまで海外に出た経験もありません。中身は「純日本人」なのに、自分は人と違うと強く意識するようになりました。

休み時間の校庭では、同級生が僕を的にしてサッカーボールを蹴ってきたこともありました。ほかにも、上履きや教科書を隠されたり、グループ決めで仲間に入れてもらえなかったり。学校が怖くなり、できるだけ存在感を消して、休み時間も教室で一人、下を向いて座っていました。
「学校に行きたくない」と母に訴えました。でも、母は「いじめに負けてほしくない。周りと違うことはいつか武器になる」と受け入れてくれませんでした。
変えられない外見…期待せず、心を閉ざした
父がいれば悩みを分かってくれたはずなのにと思い、母に対して「お母さんは日本人、どうせわからない」「何で産んだ。父親はどこにいるんだ」と乱暴な言葉で当たりました。
この外見は、どうやっても変えられない。命を絶とうと思ったこともあります。でも、その勇気はなかった。徐々に、周囲にも自分にも期待せず、あきらめるようになり、サンドバッグのようになされるがまま、何も考えず、感情も持たず、心を閉ざしました。
バスケが転機に…再び外見で葛藤

地元の中学校に進学し、バスケットボール部に入ると転機が訪れました。グンと身長が伸び、チームで頼りにされる存在になりました。自分の特性を生かすことができたのです。外見をいじられることはありました。ただ、「お前、黒いな」と言われても、「ごめん、日焼けサロンで寝過ぎちゃって」と切り返せるようになりました。
その後、バスケ一筋で高校、大学と進学。社会に出ると、再び、この見た目で葛藤を抱えました。
居酒屋で働きながら、俳優やモデルの仕事を始めたのですが、この容姿に求められるものと、僕ができることのギャップが大きかった。オーディションに呼ばれても、「英語が話せないの?」「リズム感がないね。ダンスできないんだ」と言われ、ため息をつく審査員から、「こいつ使えない」という心の声が読み取れました。
忘れかけていた小学校の時の葛藤がよみがえり、オーディションに呼ばれても「体調が悪い」と、うそをついて行かない日が増えていきました。
逃げるのは生きるための選択肢

24歳の頃、たまたま演出家の目にとまり、舞台で黒人の殿様役で出演する機会に恵まれました。僕が登場しただけで、笑いが起きました。肌の色の違いを笑いに変えることについては敬遠する人もいると思いますが、自分の中ではこの容姿がいかせて気持ちよかった。表現の世界はこういう面白いことができるんだと、初めて実感しました。
29歳まで居酒屋での仕事も続け、事務所の社長が「この道を本気で進んでみないか」と背中を押してくれ、やっと方向性が定まりました。
新型コロナウイルスの影響で今、誰も経験したことのないような生活を強いられています。疲弊してしまった子もいると思うし、SNSで巧妙ないじめを受けている子もいるかもしれません。
しんどい時は自分の身を守ってほしい。学校に無理に行かなくていい。周りの大人に「逃げるな。強くなれ」と言われたとしても、逃げるのは生きるための一つの選択肢です。
僕は、今もコンプレックスはあるし、自信もない。だから、偉そうなことは言えません。でも、何か一つやり続けられるもの、興味があるものを見つけてほしい。それは、君が生きるエネルギーになると思います。
興味があることが見つかったら、共通の思いを持つ仲間を探してみてください。将来の可能性は無限に広がっています。君は一人じゃないのだから。